郡名の発祥、『続日本後紀』ゆかり、4月に奇祭・上げ馬神事
[住所]三重県員弁郡東員町北大社797
[電話]0594-76-2424

猪名部神社(いなべじんじゃ)は、三重県員弁郡東員町北大社にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「猪名部神社(伊勢国・員弁郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

古代豪族、物部系とされる猪名部氏が奉斎した社。創祀・創建年代は不詳。

猪名部氏の出自について、『日本書紀』第15代応神天皇31年8月条に、朝廷の船500隻を造って武庫水門に停泊させていた。

その時、新羅の遣の船から失火、朝廷の船が全焼したため、新羅王はその贖罪として、自らの優れた工匠を倭国に献上したという。

これが工匠一族が猪名部の祖となった。一方、『新選姓氏録』には、猪名部氏の祖神は、当社の御祭神である伊香我色男命である、としている。

『先代旧事本紀』天神本紀には、饒速日命が天降りした際に供奉した5人のうちの天津赤星(天津赤占)が猪名部の祖としている。

社伝によれば、猪名部氏は、摂津国の猪名川周辺からの移住してきた。現在の伊丹市・尼崎市・宝塚市・池田市付近、いわゆる北摂地方にはかつて猪名県が置かれた。

奈良時代の和銅6年(713年)、第43代元明天皇の勅命により、猪名部の族名が転じて「員弁」とされ、これが郡名になり、現在も郡名と市名として継承されている。

この猪名部は、木工建築の匠の技術を持っており、天平17年(745年)8月に第45代聖武天皇の勅で始まった東大寺の建立に、棟梁として参加している。

また、法隆寺・石山寺・興福寺の建立にも携わった記録が残り、古墳の出土品からは飛鳥寺の建立にも携わっていることが知られている。

式内社「猪名部神社」は、平安時代の貞観元年(859年)に神階が従五位下、貞観8年(867年)に従四位に進んだ。

『日本三代実録』貞観15年(873年)9月9日に、天皇に仕えていた掌侍、春澄朝臣洽子(高子)が旅費として官稲1500束を賜って、氏神である当社に奉納したとある。

以来神社の諸祭儀はいずれも9日と定められたという。

春澄洽子は参議式部大輔従二位春澄善縄の長女で、清和・陽成・光孝・宇多・醍醐の各朝に出仕した。特に宇多天皇からの信任が厚かったとされる。

善縄は猪名部造で、祖父の員弁財麿は伊勢国員弁郡少領、父の員弁豊雄は周防国大目で従八位下。

善繩は幼くして聡明で勤勉して出世を果たし、天長5年(828年)に善繩と兄弟姉妹5人が春澄宿祢の姓を下賜された。

善縄は仁明・文德・清和の各朝に出仕し、藤原良房・伴善男・安野豊道らとともに六国史の第4『続日本後紀』を著し、『扶桑略記』に「在朝の通儒」と称された。

この子孫の中に、鎌倉時代に員弁大領であった員弁家綱、その子員弁郡司進士三郎行綱がいる。

特に行綱は東員町大木の御殿に居城し、源頼朝の騎射・巻狩の上意に従って、青少年の士気鼓舞のため、建久3年(1192年)、追野原において流鏑馬の神事を奉納した。

さらに濡れ衣を着せられ、窮地に立ったものの、その後冤罪が晴れた行綱は、建仁3年(1203年)、これも当社神威のおかげと、上げ馬神事用の土地を奉納した。

これらが現在の「大社祭」に連なっている。現在は毎年4月第1土・日曜日に行われる。員弁の大社祭とも。天下の奇祭「上げ馬神事」として知られる。

「上げ馬神事」は、頭に花笠、背に矢箱、華麗な武者姿で祭馬にまたがった弱冠16-17歳の少年騎手が、 約3メートルの絶壁を駆け上がる。

流鏑馬は多くの神社で行われているが、それでは味わえない大迫力。全国広しと言えども、「上げ馬神事」は当社と多度大社、北勢地方の2ヶ所だけ。

しかも当社のものは、多度大社よりも160年早く、また多度大社で始まった際の最初の上げ馬は当社、あるいは当地ゆかりの神馬だったと伝わる。

まさに、「上げ馬神事」の元祖が当社、ということになる。

騎手のみくじを引くのは地元の高校生1・2年生で、その日から1ヶ月、猛特訓が繰り返される。祭りの1週間前には家を離れ、当社境内にある区民館で参籠生活に入る。

朝晩は員弁川で禊ぎをして心身を清め、 精神を集中し、身も心も鍛え上げて、当日を迎える。

神社名や御祭神名が地名になることはよく見られるが、当社の現地名はこの祭典によるものとみられる。極めて珍しいケース。

史上の社格において、当社が大社(おおやしろ)に列したことは、公的には一度もないとされるが、それほど全国的に見ても特別な祭典と位置付けられている、ということだろう。

また当社は、日本で最も古墳の多い神社としても知られるという。最大のものが高塚古墳と呼ばれる。

境内を中心に、17の墳墓が散在しており、現在、高塚大神と記された陵頭の数々の石は、すべて散在した墓の蓋石だという。

当社境内には、善縄をはじめ、天武天皇ゆかりの春日船着神社(坊の垣内)、神明社(道正垣内)、山神(西條と西垣内)、日枝神社(山王垣内)を合祀した瑞穂神社がある。

現在までに本殿に、建速須佐男命天照大御神も併せて祀る。

なお、式内社「猪名部神社」の論社は他に、いなべ市藤原町長尾の当社および式内同名神社がある。

また、式内論社ではないが、やはりいなべ市の大安町高柳にも同名の神社がある。

【ご利益】
身体壮健、武運長久・勝運、一族・子孫繁栄(公式HP
猪名部神社 三重県員弁郡東員町北大社
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