菟上王あるいは菟道雅郎子を祀る、耳利神社を合祀、菟上遺跡と銅鐸
[住所]三重県四日市市伊坂町1388
[電話]059-364-7358
菟上耳利神社(うなかみみみとしじんじゃ)は、三重県四日市市伊坂町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』伊勢国朝明郡にある「菟上神社/兔上神社」「耳利神社」に比定される式内社(いずれも小社)の論社。近代社格では村社。
四日市JCTの南、集落の外れ、小川近くの台地の上に鎮座する。創祀・創建年代は不詳。
地名を菟上広と称し、往古は菟上王を祀るとも、また菟道雅郎子を祀るとも伝えられ、もとは菟上神社だった。
式内社「菟上神社」の論社。他の論社に、いなべ市大安町の式内同名神社がある。
菟上王は第9代開化天皇の孫。『古事記』でも第11代垂仁天皇の御代における活躍が描かれている。比賣陀の君の祖。
境内後方1キロに古宮という地名に残り、破魔弓場という流鏑馬が行われた遺跡がある。また、菟上塚は菟上王の子孫の住居跡と伝わる。
付近では、文久2年(1862年)に銅鐸などが発見され、この銅鐸は市内で唯一現存するもので、県の有形文化財に指定されている。
その他にも多くの古墳がある。いわゆる菟上遺跡。50棟以上の竪穴式住居を有する弥生時代中期の集落跡を含む、奈良・平安時代を含む複合遺跡。
中世には主祭神が応神天皇となり、八幡宮と称した。
明治41年(1908年)11月、境内社の諏訪神社・春日社、字上ノ山の耳利神社、字松山の喜代神社、字菟上の山神社、字松山の山神社を合祀。
その際、現社号に改称した。この耳利神社が式内論社で、他の論社に市内広永町の穂積神社、下之宮町の耳常神社が合祀したものがある。
これらの合祀を経て、現社号に改称した。大正6年(1917年)11月、神饌幣帛料供進社に指定された。
現在までに主祭神は応神天皇で、菟上王・大山祇神を配祀する。例祭は4月22日で天皇祭。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、家内安全、地域安全
【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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菟上耳利神社(うなかみみみとしじんじゃ)は、三重県四日市市伊坂町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』伊勢国朝明郡にある「菟上神社/兔上神社」「耳利神社」に比定される式内社(いずれも小社)の論社。近代社格では村社。
四日市JCTの南、集落の外れ、小川近くの台地の上に鎮座する。創祀・創建年代は不詳。
地名を菟上広と称し、往古は菟上王を祀るとも、また菟道雅郎子を祀るとも伝えられ、もとは菟上神社だった。
式内社「菟上神社」の論社。他の論社に、いなべ市大安町の式内同名神社がある。
菟上王は第9代開化天皇の孫。『古事記』でも第11代垂仁天皇の御代における活躍が描かれている。比賣陀の君の祖。
境内後方1キロに古宮という地名に残り、破魔弓場という流鏑馬が行われた遺跡がある。また、菟上塚は菟上王の子孫の住居跡と伝わる。
付近では、文久2年(1862年)に銅鐸などが発見され、この銅鐸は市内で唯一現存するもので、県の有形文化財に指定されている。
その他にも多くの古墳がある。いわゆる菟上遺跡。50棟以上の竪穴式住居を有する弥生時代中期の集落跡を含む、奈良・平安時代を含む複合遺跡。
中世には主祭神が応神天皇となり、八幡宮と称した。
明治41年(1908年)11月、境内社の諏訪神社・春日社、字上ノ山の耳利神社、字松山の喜代神社、字菟上の山神社、字松山の山神社を合祀。
その際、現社号に改称した。この耳利神社が式内論社で、他の論社に市内広永町の穂積神社、下之宮町の耳常神社が合祀したものがある。
これらの合祀を経て、現社号に改称した。大正6年(1917年)11月、神饌幣帛料供進社に指定された。
現在までに主祭神は応神天皇で、菟上王・大山祇神を配祀する。例祭は4月22日で天皇祭。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、家内安全、地域安全
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