17ヶ村の惣社、川島明神「団子の宮」、伊勢神宮御厨の地
[住所]三重県四日市市広永町1553
[電話]059-364-7358
穂積神社(ほづみじんじゃ)は、三重県四日市市広永町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』伊勢国朝明郡にある「穂積神社」「耳利神社」に比定される式内社(いずれも小社)の論社。近代社格では郷社。
朝明川北岸、三重IC西に隣接して鎮座する。大和国山辺郡穂積邑また大和国十市郡保津邑に本拠を置いた穂積氏に関わる神社とされる。
創祀年代は不詳。主祭神は穂積氏の祖神である饒速日命。伊賀香色雄命・菅原道真を配祀する。道真以外は、やはり物部系の色が濃い。
当地一帯は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の「弘永御厨」の地とされている。伊勢神宮とゆかりが深い。
中世以降は川島に坐し、17ヶ村の惣社として尊崇され、川島明神とも称されていた。近世には「団子の宮」として村民の尊信を集めていた。
永禄11年(1568年)、天正6年(1578年)の合戦によって、社伝や古記はすべて焼失、詳細は不明。
明治8年(1875年)12月、教部省から式内社に認定され、明治15年(1883年)1月、郷社に列した。
式内社「穂積神社」の論社は他に、菰野町田口の福王神社の飛地境内社があり、「耳利神社」の論社は他に、市内伊坂町の菟上耳利神社、下之宮町の耳常神社がある。
また、大正2年(1913年)3月には式内論社である山村町の布自神社を合祀したが、布自神社は戦後に復社した。
例祭は10月15日。現在までに、天児屋根命・市杵嶋姫命・大山祇神を合祀している。
境内には、昭和初期まで広永の若者たちがことあるごとに「力くらべ」に使用していた力石が安置されている。
また、境内の石碑には「日本精神宣揚塔」「管公壹千年祭碑」「厳島神社」などがあり、拝殿前には瓦で作った三角形が置かれている。
【ご利益】
地域安全、身体壮健、一族・子孫繁栄

【関連記事】
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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穂積神社(ほづみじんじゃ)は、三重県四日市市広永町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』伊勢国朝明郡にある「穂積神社」「耳利神社」に比定される式内社(いずれも小社)の論社。近代社格では郷社。
朝明川北岸、三重IC西に隣接して鎮座する。大和国山辺郡穂積邑また大和国十市郡保津邑に本拠を置いた穂積氏に関わる神社とされる。
創祀年代は不詳。主祭神は穂積氏の祖神である饒速日命。伊賀香色雄命・菅原道真を配祀する。道真以外は、やはり物部系の色が濃い。
当地一帯は、伊勢の神宮(伊勢神宮)の「弘永御厨」の地とされている。伊勢神宮とゆかりが深い。
中世以降は川島に坐し、17ヶ村の惣社として尊崇され、川島明神とも称されていた。近世には「団子の宮」として村民の尊信を集めていた。
永禄11年(1568年)、天正6年(1578年)の合戦によって、社伝や古記はすべて焼失、詳細は不明。
明治8年(1875年)12月、教部省から式内社に認定され、明治15年(1883年)1月、郷社に列した。
式内社「穂積神社」の論社は他に、菰野町田口の福王神社の飛地境内社があり、「耳利神社」の論社は他に、市内伊坂町の菟上耳利神社、下之宮町の耳常神社がある。
また、大正2年(1913年)3月には式内論社である山村町の布自神社を合祀したが、布自神社は戦後に復社した。
例祭は10月15日。現在までに、天児屋根命・市杵嶋姫命・大山祇神を合祀している。
境内には、昭和初期まで広永の若者たちがことあるごとに「力くらべ」に使用していた力石が安置されている。
また、境内の石碑には「日本精神宣揚塔」「管公壹千年祭碑」「厳島神社」などがあり、拝殿前には瓦で作った三角形が置かれている。
【ご利益】
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