富士権現と称した式内社、朝明・員弁・桑名の郡境、漁民の崇敬
布自神社 三重県四日市市山村町892
[住所]三重県四日市市山村町892
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布自神社(ふじじんじゃ)は、三重県四日市市 山村町にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「布自神社(伊勢国・朝明郡)」に比定される式内社(小社)。

『式社案内記』に「富士宮は耳利神社より凡二〇丁」とあり、『式社順参図説』『古谷草紙』『徴古録』『勢陽俚諺』など、いずれも当社を式内比定している。

『特選神名牒』によれば、当社は富士権現と称する式社で、朝明・員弁・桑名三郡の境地点にあり、最高地で同地を富士山と称したという。

このためか、当社と思われる神社を式内社「桜神社」に比定する見解もある。

桜神社の論社は他に、いずれも市内で、大矢知町の長倉神社が合祀した式内同名神社、山城町の櫻神社がある。

当社の御祭神は木華開耶姫命。明治年間(1868年-1912年)まで、富田天ケ須賀地方の漁民は帰途において、当社の森が唯一の目標となったという。

そのため、当地の漁民は古松樹を大切にし、落雷に備え、常に松木多数を補植、寄進するのを例としたという。

また、社紋の上り藤については、その昔、北伊勢四八家の旧家伊藤某がその家紋「上り藤」を布自(藤)にふさわしいものとして献納したものという。

以後伊藤家は藤紋を使用しなかった伝えられる。

『神鳳鈔』には、「山村御園三石」とある。伊勢の神宮(伊勢神宮)ゆかりの地でもある。

境内近くはもとは「お立て山」として、藩の禁漁区域となり、藩士の鹿、兎の猟行事が多く盛大に施行された記録が残る。

明治30年(1897年)、当社付近で古代の金製の耳環が発見され、一体は金塚古墳群とされた。

明治40年(1907年)11月、村内各社を合祀して現社名に改称した。大正2年(1913年)3月、広永町の
穂積神社に合祀された。戦後になり、もとの現在地に再興した。

現在までに、天照大御神菅原道真を配祀し、市杵志摩姫命倉稲魂命大山祇神を合祀する。例祭は10月10日。

【ご利益】
子宝・安産、開運招福、交通安全
布自神社 三重県四日市市山村町
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