神庤跡に鎮座する式内・国生神社の論社、式内・宇尓神社を合祀
[住所]三重県多気郡明和町簑村834-1
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鳥墓神社(とつかじんじゃ)は、三重県多気郡明和町簑村にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「国生神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)の論社。式内社「国生神社」は通常、所在不明とされる。

国生の読みに関して、「くなり」「くになり」「くなは」「こふ」「くにふ」など諸説ある。

「くなり」「くになり」とする説では、伊勢に多い国生神を祀るとする。国生神は素盞嗚尊の別称である。

「こふ」「くにふ」とする説では、国府と同義とする。当地は伊勢の神宮(伊勢神宮)の役所である神庤(かんだち)の古跡。

いわゆる鳥墓の神庤跡、鳥墓神庤跡と呼ばれるもので、現在は町の史跡に指定されている。

また、『神鳳鈔』に富墓御厨と記されていることから、神税を収納する屯倉の神である倉稲魂神を祀るとする。

飛鳥時代、孝徳天皇(在位:645年-654年)の御宇に、その神庤が山田原に遷されたので、その跡地に国生神社と、宇尓神社(埴安神)が創建されたという。

この宇尓神社も、『延喜式神名帳』にある「宇尓神社/宇爾神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)。

宇尓神社は現在、当社に合祀されている。この式内二社は、やはりいずれも『延喜式』斎宮寮に記載され、斎宮の祈年祭に預かった。

江戸時代までは天王社と呼ばれ、また、式内社「国生神社」の論社は当社、国束山山頂の白山権現、大台町の八王子社があったが、当社が最も有力だったという。

明治になり、現社号に改称した。明治の神社明細帳では、御祭神は素盞嗚尊と天照大神になっている。

明治14年(1881年)、八柱神神社(天之忍穂耳命天之菩卑能命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命多紀理毘売命市寸島比売命田寸津比売命)を合祀。

その後、明治41年(1908年)に素盞嗚命神社(現 明星神社)に合祀された。戦後になり、昭和21年(1946年)6月、旧社地である現在地に復社した。

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鳥墓神社 三重県多気郡明和町簑村
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