縄文からの水銀・丹生鉱山、祈雨・祈晴の神、神宮古材と伊勢椿
[住所]三重県多気郡多気町丹生3999
[電話]0598-49-3199

丹生神社(にうじんじゃ)は、三重県多気郡多気町丹生にある神社。紀勢本線の佐奈駅の西約6キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「丹生神社(伊勢国・飯高郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀は第26代継体天皇16年とされる。御祭神は、埴山姫命彌都波能売神稚日女命(丹生都比女神・丹生都姫神・丹生津姫)などの異説もある。

いわゆる丹生鉱山。この鉱山では、縄文時代から辰砂の採掘が行われていた。

粉砕した辰砂を利用した縄文土器が発掘されており、辰砂原石や辰砂の粉砕用に利用したと見られる石臼も発見されている。

奈良時代、第45代聖武天皇が東大寺大仏殿の建立の際、水銀の産出をこの地の神に祈ると、ただちに水銀が湧出したので、丹生明神と名付けた。

近接する真言宗山階派の丹生山神宮寺(丹生大師)とともに、水銀に関する遺物が保存されている。

『本朝年代記』によれば、平安時代の弘仁10年(819年)、第52代嵯峨天皇が降雨を祈ったら霧雨があり、晴れを祈ったら、晴れたという。

この故事により、丹生大明神は祈雨、祈晴の神とも呼ばれた。中世になり、伊勢の国司北畠氏が毎年参拝し、造営などの奉仕を行った。

安土桃山時代の天正4年(1576年)、兵火に遭い炎上。豊臣秀吉は、造船用材として当社の御神木を伐採したという。

また、蒲生氏郷も、天正13年(1585年)以後3年間にわたり、当社の御神木を伐採して松坂城の建築用材に使用したという。

江戸時代初期の慶長16年(1611年)、松坂城主古田大膳より30石を寄進するとの寄付状が交付された。

同年、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の権祢宜檜垣筑後が、当社神主を兼ね、以後檜垣氏が神主となった。現在は異なる。

元和5年(1619年)、紀州藩徳川頼惟宣から社領30石が認められ、以後の藩主は自ら参向し、国家安穏・五穀豊穣を願い金銀などを寄進した。

延宝5年(1677年)より、あるいは明和年間(1764年-1772年)以降とも、伊勢神宮の遷宮の翌年、その古殿材を拝領して造営することになった。

江戸時代中期の安永5年(1776年)、紀州藩寺社奉行の直支配になり、境内は御免許地となった。

明治4年(1871年)7月、村社に列し、明治41年(1908年)1月21日、境内社十数社を合祀した。現在までに、下記の神々を合祀している。

天照大神拷幡千々比売命武甕槌命
齋主命天津兒屋根命・姫大神・大己貴命
活津彦根命熊野櫲樟日命饒速日命
猿田彦命大山祗命市寸島比売命
月読命素盞嗚命・気吹戸主命
金山比古命金山比女命誉田別命
五柱男命・三柱女命豊受比売命
建御名方神大国御魂神蛭子命底度久神
安部清明・宇賀魂神菅原道真火遠理命
秋葉大神・愛宕大神・宇迦之御魂神
不詳一座

例祭は7月16日。恵美寿祭が2月11日に行われ、諏訪祭が5月31日にある。

境内社に、丹生中神社(にゅうなかじんじゃ)がある。やはり式内社。御祭神は、金山彦命・金山比女命ほか17柱。

当社は丹生内大神で、丹生中神社が丹生外大神と言われた。この丹生中神社にも水銀に関する伝承が残り、金山槌・金山樋などの御神宝が伝わる。

なお、丹生中神社も明治41年2月18日から4月18日にかけて、村内の八幡神社・八柱神社・金比羅神社・塩垣神社など30余社を合祀した。

当社拝殿横に生育する椿は、伊勢椿(いせつばき)の原木といい伝えられている。また、女石・男石がある。

【ご利益】
産業振興、事業成功、出世開運、祈雨・祈晴
丹生神社 三重県多気郡多気町丹生
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