刈り取った稲の上に御神霊が降臨、境内に室町期創祀の神明神社
苅田彦神社  福井県大飯郡おおい町名田庄小倉17-1
[住所]福井県大飯郡おおい町名田庄小倉17-1
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苅田彦神社 (かりたひこじんじゃ)は、福井県大飯郡おおい町名田庄小倉にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 若狭国 遠敷郡「苅田比古神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は社伝によると、平安時代の大同元年(806年)。

養老5年(721年)に泰澄が草創した当社の別当である谷田寺が、藩に提出した願書には「安永四乙未三月壹千年祭、文政六癸未九月壹千五十年祭」とある。

安永4年(1775年)の約1000年前、奈良時代の宝亀年間(770年-781年)の創祀との説もある。

ただし、当社と対になっていると思われる苅田比売神社も大同元年、あるいは大同2年(807年)の創祀なので、同時期と考えた方がすっきりするか。

御祭神は苅田比古大神。谷田寺記録には「知見七村氏神」とあり「知見之宮」と記されている。

伝承によると、秋日、刈り取った稲の上に御神霊が降臨したため、苅田彦の名が付けられた穀霊神であるという。

ただ、苅田彦命であれば、備中国 小田郡の式内社である在田神社でも、苅田比売神社の御祭神と同神と考えられる苅田姫命とともに祀られている。

在田神社によれば、苅田彦命・苅田姫命は、阿知使主・坂上苅田麻呂の末裔で、鉄鉱や水銀を採掘した犬一族の神であるという。

坂上苅田麻呂は786年の死去。その末裔というのであれば、やはりこれより後、少なくともその前後には存在し、亡くなっていることになる。

そのため、坂上苅田麿呂の末裔の奉斎であれば、上記の宝亀年間の創建は厳しく、大同年間(806年-810年)でもぎりぎりと考えられる。

もとは現在地の東北の山麓にあったが、洪水のため、幕末の嘉永6年(1853年)、現在地に再建された。

明治44年(1911年)5月、小倉字奥の谷から室町時代の文明年間(1469年-1487年)創祀の無格社神明神社(神明大明神)が当社境内に移転した。

【ご利益】
家内安全、地域安全、一族・子孫繁栄、五穀豊穣
苅田彦神社  福井県大飯郡おおい町名田庄小倉
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