社名も地名の田光も「たびか」、当地開拓の祖神、大国主神の五世孫
[住所]三重県三重郡菰野町田光2063
[電話]-
多比鹿神社(たびかじんじゃ)は、三重県三重郡菰野町田光にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「多比鹿神社(伊勢国・朝明郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
社前を田光川が流れ、田光川上流に八風キャンプ場があるが、この八風キャンプ場のすぐ西側は滋賀県となる。
創祀・創建年代は不詳。田光(たびか)の集落の中に鎮座する。西方には中世の砦跡である田光城跡がある。
御祭神は、多比理伎志摩流美神・仁徳天皇・市杵島姫命・伊勢津彦命・天照大神・素戔嗚尊・大山祇神。
多比理伎志摩流美神は、大国主神の五世孫で、甕主日子神と比那良奈良志毘売の間の子。
当地である朝明郡田光郷を開発した祖神。
田光、多比鹿・多毘鹿という変わった地名の由来はいくつかの説がある。
・この地に鹿が多く住んでいた
・この地を治めていた豪族の名前、田光隼則によるもの
・僧与阿が田の中に光る黄金仏を見つけた
近世は「天白大明神」と称していた。明治6年(1873年)、村社に列し、明治39年(1906年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
明治43年(1910年)までに、田光の鳥出神社・厳島神社、西江平の江平八幡社、新溜の厳島神社、田光一色社、八風神社、山神社を合祀した。
例祭は10月14日。やはり式内社である伎留太神社も合祀したが、戦後、伎留太神社は旧地に復社。現在は当社の兼務神社である。
当地にある「田光のシデコブシ及び湿地植物群落」は国の天然記念物に指定されている。シデコブシは愛知・三重・岐阜三県の限られた場所でしか咲かない。
大鳥居前の広場の西側に高札揚がある。屋根は瓦葺きで柱は檜を使い、まわりを頑丈な柵で囲い、基礎はていねいた切石で 亀甲積みにした立派なものである。
【ご利益】
家内安全、地域安全、地域振興、事業成功

【関連記事】
・国の天然記念物がある神社 - 数百年、数千年という単位で存在し続けている自然のパワー
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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多比鹿神社(たびかじんじゃ)は、三重県三重郡菰野町田光にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「多比鹿神社(伊勢国・朝明郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
社前を田光川が流れ、田光川上流に八風キャンプ場があるが、この八風キャンプ場のすぐ西側は滋賀県となる。
創祀・創建年代は不詳。田光(たびか)の集落の中に鎮座する。西方には中世の砦跡である田光城跡がある。
御祭神は、多比理伎志摩流美神・仁徳天皇・市杵島姫命・伊勢津彦命・天照大神・素戔嗚尊・大山祇神。
多比理伎志摩流美神は、大国主神の五世孫で、甕主日子神と比那良奈良志毘売の間の子。
当地である朝明郡田光郷を開発した祖神。
田光、多比鹿・多毘鹿という変わった地名の由来はいくつかの説がある。
・この地に鹿が多く住んでいた
・この地を治めていた豪族の名前、田光隼則によるもの
・僧与阿が田の中に光る黄金仏を見つけた
近世は「天白大明神」と称していた。明治6年(1873年)、村社に列し、明治39年(1906年)には神饌幣帛料供進社に指定された。
明治43年(1910年)までに、田光の鳥出神社・厳島神社、西江平の江平八幡社、新溜の厳島神社、田光一色社、八風神社、山神社を合祀した。
例祭は10月14日。やはり式内社である伎留太神社も合祀したが、戦後、伎留太神社は旧地に復社。現在は当社の兼務神社である。
当地にある「田光のシデコブシ及び湿地植物群落」は国の天然記念物に指定されている。シデコブシは愛知・三重・岐阜三県の限られた場所でしか咲かない。
大鳥居前の広場の西側に高札揚がある。屋根は瓦葺きで柱は檜を使い、まわりを頑丈な柵で囲い、基礎はていねいた切石で 亀甲積みにした立派なものである。
【ご利益】
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