大国主命が御子神とともに国土経営、上杉謙信の崇敬、3月に鎮火祭
[住所]新潟県妙高市宮内241
[電話]0255-72-0998

斐太神社(ひだじんじゃ)は、新潟県妙高市宮内にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「斐太神社(越後国・頸城郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

宮内集落西方の丘上、青田南葉山から派生した枝脈の東麓に東面して鎮座する。鎮座地周辺には斐太遺跡が、北方に観音平古墳群、南方に天神堂古墳群がある。

当初は山上に鎮座していたと伝えられ、矢代川の支流である内川の右岸、妙高市飛田字屋敷添には里宮があって拝殿が建っていたという。

社伝によれば、大国主命が御子神である事代主命建御名方命を従えて当地方へ神幸し、当地に滞在して住民に稲作の業を教えるなどの国土経営にあたった。

その故事にちなんで創祀された。その折に当地を越国の「日高見(ひだかみ)の国」と名付けたことから、「斐太」という地名が生まれ、という。

また、国土経営に際しては大国主命と建御名方命は山野の開拓や田畠の開墾にあたり、事代主命は沼沢や河川を治めて水路を開削したと伝える。

主祭神は大国主命。事代主命は矢代明神として、河原の鎮護として矢代川上流の岡沢山の奥に鎮座して矢代川にその名を残し、建御名方命は青田南葉山山頂に鎮座した。

大同3年(808年)の『大同類聚方』によれば、当社に大己貴神によって処方が伝授された「佐美豆薬」という中風の特効薬があったという。

また、この薬は頸城郡の少領である大神氏の家伝薬でもあったという。

戦国時代には上杉氏からの崇敬を受け、当社西方の山上に鮫ヶ尾城を築城した際には当社を近郷128ヶ村の総社と定めた。

同時に、宮内、神宮寺、乙吉、籠町、雪森、青田、稲荷、十日市、飛田の各村を神領として寄進したという。

天正2年(1574年)には上杉謙信が矢代明神を合祀し、それ以前に合祀していた建御名方命を含め、3神を鮫ヶ尾城の鬼門鎮護の神として崇めたという。

矢代明神の旧社地には今も石祠が残る。

天正7年(1579年)の鮫ヶ尾城落城の兵火に罹って炎上し、また明暦2年(1656年)にも火災に遭った。

江戸時代になると、天和3年(1683年)の検地で5石3合の除地が与えられ、榊原氏が越後高田藩の藩主として入封してからは、同家による代々の崇敬を受けた。

なお、宮内地区に南接する神宮寺地区は上越市寺町にある神宮寺があったために付けられた集落名で、同寺は当社の神宮寺だったが、江戸時代に上越市へ移転されたという。

明治6年(1873年)12月に村社に列し、昭和17年(1942年)11月3日に郷社に昇格、昭和20年(1945年)11月3日には県社昇格の予定だったが、敗戦のため取りやめ。

昭和33年(1958年)5月11日には火災により社殿が全焼した。

現在の本殿は梁間3間桁行3間の切妻造妻入で、大社風神明造と称している。拝殿は梁間3間桁行4間の切妻造妻入。ともに瓦葺でこの両殿を切妻造の石の間で連絡する。

御祭神に関しては、異説がある。『新撰姓氏録』に、武内宿禰の子である巨勢小雄柄宿禰の五世孫で、巨勢楲田朝臣と巨勢斐太臣の祖とされる荒人命(あらひとのみこと)。

他に、巨勢雄柄宿禰命を御祭神とする説もあり、その兄に羽田矢代宿禰がいるため、相殿の矢代明神は羽田矢代宿禰命である可能性を指摘するものもある。

例祭は3月3日で、鎮火祭が行われる。消火の意の水・水草・土・竹で作った杓と桶を奉納し、その後これらの供物を近くの川まで運び、川の神々に棒げて無火災を祈るという。

その直会で春駒踊が演じられ、丹前を着て男根を持った女性と、女性用の襦袢を着て女根と赤布、鈴を持った男性が、頬被りをして踊る。

境内社に、男根を祀る雁田神社(伊邪那岐命伊邪那美命)と石祠の稲荷社、八幡社がある。春駒踊といい、生殖器崇拝が濃厚だ。

【ご利益】
病気平癒、五穀豊穣、事業成功、産業振興
斐太神社 新潟県妙高市宮内
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