もと稲荷、北条時頼・楠木正成・三好長慶・上田秋成ゆかりの古社
[住所]大阪府大阪市淀川区加島4-4-20
[電話]06-6301-6501

香具波志神社(かぐはしじんじゃ)は、大阪府大阪市淀川区加島にある神社。「ごんのかみ」とも呼ばれる。近代社格では郷社。村社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『加島神社旧記』によれば、平安時代の天徳3年(959年)に倉稲魂神保食神を祀ったという。

社名「香具波志」は、孝徳天皇(在位:645年-654年)が有馬温泉へ行幸の途中、当地を通った際、下記を詠んだ、その御製に由来している。
かこはしや 此花いもみせぬ かもやこの花
もとは賀具波志大社と称し、後に加島神社・加島大明神とも呼ばれた。

かつて連歌殿があり、鎌倉時代の弘長年間(1261年-1264年)には北条時頼が連歌田を寄進したという。

『太平記』によれば、南北朝時代の正平6年(1351年)、楠木正成の三男正儀は加島明神の森に駒をとめ、祈願した。

境内に「楠木正儀卿駒繋樟」の石碑と大きな切り株がある。この楠は、昭和42年(1967年)に枯死した。

戦国時代の天文18年(1549年)、江口の戦いで、三好長慶が戦勝祈願に大鳥居を寄進したという。現在もその沓石が残る。

織田信長の時代に稲荷神社と改め、 『摂津志』にも「稲荷神祠二座、一座在加島村」とある。

『雨月物語』の作者として有名な上田秋成が幼時、天然痘で危うかった時、当社を信仰して助かったとの話が伝えられる。

当社の神官藤家時とその弟家孝の招きで、秋成は安永2年(1773年)から足掛け3年、当地に居住した。

享保元年(1801年)、68歳を迎えた秋成は、68首の和歌を奉納しているなど、当社との繋がりは深い。

境内には、「上田秋成寓居跡碑」が残り、文化8年(1811年)3月没後3年目に藤家孝が建てた上田秋成先生墓が現存する。

江戸時代を通じて整備された本殿は幕末の万延元年(1860年)、火災により焼失、文久3年(1863年)に復興した。

明治になり、現社号に改称し、明治42年(1909年)には三津屋の三社八幡神社・御幣島の住吉神社、住吉講天神の天神社を合祀。

明治43年(1910年)、天神社を合祀し、神饌幣帛料供進社に指定された。現在までに、天照皇大神稚産霊神埴山姫神住吉大神八幡大神を併せて祀る。

昭和34年(1959年)、鎮座千年祭が挙行された。幕末の社殿は平成7年(1995年)、阪神・淡路大震災により崩壊し、その後再建された。

例祭は10月23日。7月下旬に夏祭りがある。境内に露店が出て、地車囃子「車樂」が披露される。

【ご利益】
五穀豊穣、商売繁盛、武運長久・勝運
香具波志神社 大阪府大阪市淀川区加島
【関連記事】
大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
香具波志神社 大阪府大阪市淀川区加島の御朱印