神功皇后が創祀、平安期創建、家康ゆかりの佃漁民、狛犬と宝くじ
[住所]大阪府大阪市西淀川区佃1-18-14
[電話]06-6471-5416
田蓑神社(たみのじんじゃ)は、大阪府大阪市西淀川区佃にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐の帰途にこの地を立ち寄り、その際に島の海士が白魚を献上し、その海士を奉ったのが興りとされている。
その数百年後、この地を開拓するとその海士が出現し、「神功皇后の御船の鬼板を伝え守って数百年、この神宝を安置して住吉大明神をお奉りせよ」との神託があった。
そうして、平安時代前期の貞観11年(869年)、当社が創建された。この鬼板は、現在も当社の御神宝として奉られている。
御祭神は、住吉の四柱として、底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の住吉三神と、神功皇后。
紀貫之が旅の途中に田蓑嶋(現在の佃)に立ち寄った際に詠んだ次の歌が、現在は歌碑として建立されている。
その褒賞として、全国における漁業権や無税の措置があった。その一方で、田も作れと命じられ、これにより、田蓑嶋を佃と改められた。
当社の境内社に家康を祀る東照宮があるが、これは上記の縁で、江戸時代前期の寛永8年(1631年)に祀られたもの。
正保2年(1645年)、佃村と大和田村の漁夫33人と当社の神主が江戸に移住。そうして創建されたのが東京都中央区佃の住吉神社である。
田蓑姫神社(あるいは田蓑姫島神社)、住吉神社と名を変えたが、明治元年(1868年)に現社号に改名した。
平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災により、佃地区は液状化現象やライフラインの一時寸断などにより大きな被害となった。
当社も、社殿が傾き、社務所が全壊、標柱も倒壊し、その他鳥居・灯篭・参道に至るまで大きな被害をこうむった。
拝殿、社務所などは同年10月には復興、参道も平成12年(2000年)7月に復興した。
震災で倒壊した標柱は、金属枠で補強された上で、震災復興モニュメントとして、参道の傍らに保存されている。
例祭は10月16日・17日で秋祭。7月31日・8月1日が大祭で夏祭。地域の子供たちによってふとん太鼓大小各1台が佃地区内を巡行し、要所で大阪締めを行っている。
また、夏祭において、拝殿では巫女による御神楽も見ることができる。夜店も10軒あまり出店される。
境内社に、先の東照宮の他、金毘羅宮(大物主大神)、稲生社(宇賀御魂神。お稲荷さん)、七重之社(天照皇大神・猿田彦神・大国主大神・事代主大神・応神天皇・少彦名明神・菅原道真)がある。
江戸時代前期の元禄15年(1702年)に奉納された、府内で最も古い狛犬がある。
また、当社の狛犬の足をなでて祈願したところ、宝くじに二度当たった、というのがテレビ番組で取り上げられ、話題となった。
佃漁民ゆかりの地の石碑がある。水産庁が平成18年(2006年)に発表した「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に府内で唯一選定された。
また、昔は佃周辺の海岸沿いは芦が群生していたことから、謡曲「芦刈」の舞台として、その碑が建立されている。
当社では古来より御旅が行われていたが、慶応元年(1865年)の水害により神具一式を流失してしまい、翌年より中止を余儀なくされた。
その御旅所跡を偲んで、阪神電鉄本線千船駅に隣接する千船病院前に碑が建立されている。
【ご利益】
海上安全、五穀豊穣、産業振興、事業成功(公式HP)
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[電話]06-6471-5416
田蓑神社(たみのじんじゃ)は、大阪府大阪市西淀川区佃にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝によれば、神功皇后が三韓征伐の帰途にこの地を立ち寄り、その際に島の海士が白魚を献上し、その海士を奉ったのが興りとされている。
その数百年後、この地を開拓するとその海士が出現し、「神功皇后の御船の鬼板を伝え守って数百年、この神宝を安置して住吉大明神をお奉りせよ」との神託があった。
そうして、平安時代前期の貞観11年(869年)、当社が創建された。この鬼板は、現在も当社の御神宝として奉られている。
御祭神は、住吉の四柱として、底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命の住吉三神と、神功皇后。
紀貫之が旅の途中に田蓑嶋(現在の佃)に立ち寄った際に詠んだ次の歌が、現在は歌碑として建立されている。
『古今和歌集』天正年間(1573年-1593年)、徳川家康が多田の廟(多田神社)に参詣の際、当地に立ち寄り、当地の漁民が神崎川の渡船を勤めた。
雨により 田蓑の嶋を けふゆけど なにはかくれぬ ものにぞありける
その褒賞として、全国における漁業権や無税の措置があった。その一方で、田も作れと命じられ、これにより、田蓑嶋を佃と改められた。
当社の境内社に家康を祀る東照宮があるが、これは上記の縁で、江戸時代前期の寛永8年(1631年)に祀られたもの。
正保2年(1645年)、佃村と大和田村の漁夫33人と当社の神主が江戸に移住。そうして創建されたのが東京都中央区佃の住吉神社である。
田蓑姫神社(あるいは田蓑姫島神社)、住吉神社と名を変えたが、明治元年(1868年)に現社号に改名した。
平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災により、佃地区は液状化現象やライフラインの一時寸断などにより大きな被害となった。
当社も、社殿が傾き、社務所が全壊、標柱も倒壊し、その他鳥居・灯篭・参道に至るまで大きな被害をこうむった。
拝殿、社務所などは同年10月には復興、参道も平成12年(2000年)7月に復興した。
震災で倒壊した標柱は、金属枠で補強された上で、震災復興モニュメントとして、参道の傍らに保存されている。
例祭は10月16日・17日で秋祭。7月31日・8月1日が大祭で夏祭。地域の子供たちによってふとん太鼓大小各1台が佃地区内を巡行し、要所で大阪締めを行っている。
また、夏祭において、拝殿では巫女による御神楽も見ることができる。夜店も10軒あまり出店される。
境内社に、先の東照宮の他、金毘羅宮(大物主大神)、稲生社(宇賀御魂神。お稲荷さん)、七重之社(天照皇大神・猿田彦神・大国主大神・事代主大神・応神天皇・少彦名明神・菅原道真)がある。
江戸時代前期の元禄15年(1702年)に奉納された、府内で最も古い狛犬がある。
また、当社の狛犬の足をなでて祈願したところ、宝くじに二度当たった、というのがテレビ番組で取り上げられ、話題となった。
佃漁民ゆかりの地の石碑がある。水産庁が平成18年(2006年)に発表した「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に府内で唯一選定された。
また、昔は佃周辺の海岸沿いは芦が群生していたことから、謡曲「芦刈」の舞台として、その碑が建立されている。
当社では古来より御旅が行われていたが、慶応元年(1865年)の水害により神具一式を流失してしまい、翌年より中止を余儀なくされた。
その御旅所跡を偲んで、阪神電鉄本線千船駅に隣接する千船病院前に碑が建立されている。
【ご利益】
海上安全、五穀豊穣、産業振興、事業成功(公式HP)
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