境内には古墳群や縄文遺跡、飛鳥朝創建の菅原天神、延喜式内
[住所]新潟県上越市清里区菅原108
[電話]025-528-7075

菅原神社(すがわらじんじゃ)は、新潟県上越市清里区菅原にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「菅原神社(越後国・頸城郡)」に比定される式内社(小社)。八社五社の一つ。近代社格では県社

飛鳥時代の天武天皇3年(675年)、あるいは文武天皇3年(699年)に勧請されたと伝えられる。

境内には県指定史跡で、菅原古墳と呼ばれる全長約30メートルの前方後円墳があり、周囲には100基以上の古墳があった。現在、周囲の古墳は30基ほど。

当時の豪族と関係が深かったことが考えられ、当初は豪族の氏神が祀られていたと思われる。また、縄文時代の炉跡もある。古くから人が生活していた。

その後、菅原道真の後裔が越後の郡司になった折、当社と関係したことや、境内一帯が菅の群生地で菅原と呼ばれていたことから、菅原道真も配祀された、という。

ただし、『延喜式神名帳』にも「菅原」とあり、主祭神は天穂日命である。

古墳に関連する豪族も、もともと菅原氏、あるいは土師氏系など天穗日命を祖とする豪族だった、と考えた方がスムーズか。

歴代領主からも崇敬され、南北朝時代の貞治5年(1366年)、当時の越後国守上杉左近将監は自らの祈願所とし、社領200石を寄進した。

安土桃山時代の天正元年(1573年)、落雷による火災で多くの社殿が焼失し、一時衰退したが、江戸時代に入ると高田藩から庇護され、再興した。

往時の例祭には奉幣使差遣、幣帛料が献納され、当時の家老、堀監物直政が慶長14年(1609年)に贈った2石5斗の社領寄進状が社宝として現存する。

古くから神仏習合し、菅原天神と称していたが、明治に入り、仏式が排され、現社号が定まった。しかし、明治5年(1872年)に火災で焼失。

明治6年(1873年)、郷社に列し、昭和14年(1939年)には社殿も造営され、昭和18年(1943年)には県社に昇格した。現在までに、菅原道雄も配祀している。

また、熊野神社(伊邪那岐尊)、十二社(天津神五代・国津神七代)、八社(高皇産霊神・生産霊神・神皇産霊神・足産霊神・玉置産霊神・御膳神・大宮之売神事代主神)を合祀している。

八社は、御巫等祭神八座で、八神殿の神々。合祀の由来などは不詳。

当社の例祭は8月18日・19日で、例大祭、または天神祭と呼ばれる。4月7日には春例祭がある。

元旦にかけての2年詣の際には自家製梅干しの「福梅」の振る舞いがあり、元朝に湯に投じて飲むと、一年の邪気払いになると伝えられている。

【ご利益】
学業・受験合格、厄災除け、家内安全、病気平癒
菅原神社 新潟県上越市清里区菅原
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