崇神朝に創祀、奈良期に坂本に遷座、平安期に八幡を合祀
[住所]新潟県南魚沼市八幡113
[電話]025-773-2126
八幡宮(はちまんぐう)は、新潟県南魚沼市八幡にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「坂本神社(越後国・魚沼郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
第10代崇神天皇の御代、鳥坂山(坂戸山)の山頂に大国主命の御分霊を勧請したのが始まりとされ、第11代垂仁天皇27年には横刀三口が奉納された。
奈良時代の天平6年(734年)に現在地に遷座し、社号を坂本神社に改称、地名も坂本に改められたという。
平安時代の延喜6年(906年)に社殿が造営された。後述の八幡神合祀の前、いずれかのタイミングで猿田彦命も祀られたとみられる。
天仁2年(1109年)、当時の越後国司が勅命により多紀理毘売命・狭依毘売命・多紀降毘売命・足仲彦命・気長足姫命・誉田別尊の6神の御分霊を勧請、合祀。
この際に、現社号に改められ、当地の守護神として、社殿の造営や社領の寄進が行われた。
その後、歴代領主から崇敬され、鎌倉時代の建仁元年(1201年)に、幕府に逆らった城氏を追討した佐々水盛綱が、当社で戦勝祈願を行い、成就後に社殿を造営した。
安土桃山時代の慶長3年(1598年)、坂戸城に堀直寄が入封、当社を厚く崇敬したため、江戸時代になっても、村松藩藩主堀家の崇敬社となった。
境内には大宮廼売神社、直日神社、素盞嗚神社、稲荷神社、諏訪神社があったが、明治10年(1877年)、本社に遷された。
明治11年(1878年)に社殿を改築したが、明治41年(1908年)の六日町大火により焼失した。
境内社に、疫神斉神社(八街毘古神・八街毘売神・岐戸神)、稲荷神社(宇迦御魂命)、八坂神社(素盞鳴尊)、淡島神社(少名毘古那命)、水神社(水速廼女命)、天満宮(菅原道真朝臣)がある。
このうち、水神社は奈良時代の天平年間(729年-749年)の創立、天満宮は平安時代の延喜8年(908年)の創立と伝える。
境内の大スギ14本が市の保存樹木に指定されている。
なお、式内社「坂本神社」の論社は他に、南魚沼市の大倉と宮に鎮座する式内と同名の神社、田崎の日吉神社、南魚沼郡湯沢町の魚沼神社がある。
【ご利益】
家内・地域・交通安全、厄災除け、安産

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・新潟県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、新潟県に鎮座している神社の一覧
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八幡宮(はちまんぐう)は、新潟県南魚沼市八幡にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「坂本神社(越後国・魚沼郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
第10代崇神天皇の御代、鳥坂山(坂戸山)の山頂に大国主命の御分霊を勧請したのが始まりとされ、第11代垂仁天皇27年には横刀三口が奉納された。
奈良時代の天平6年(734年)に現在地に遷座し、社号を坂本神社に改称、地名も坂本に改められたという。
平安時代の延喜6年(906年)に社殿が造営された。後述の八幡神合祀の前、いずれかのタイミングで猿田彦命も祀られたとみられる。
天仁2年(1109年)、当時の越後国司が勅命により多紀理毘売命・狭依毘売命・多紀降毘売命・足仲彦命・気長足姫命・誉田別尊の6神の御分霊を勧請、合祀。
この際に、現社号に改められ、当地の守護神として、社殿の造営や社領の寄進が行われた。
その後、歴代領主から崇敬され、鎌倉時代の建仁元年(1201年)に、幕府に逆らった城氏を追討した佐々水盛綱が、当社で戦勝祈願を行い、成就後に社殿を造営した。
安土桃山時代の慶長3年(1598年)、坂戸城に堀直寄が入封、当社を厚く崇敬したため、江戸時代になっても、村松藩藩主堀家の崇敬社となった。
境内には大宮廼売神社、直日神社、素盞嗚神社、稲荷神社、諏訪神社があったが、明治10年(1877年)、本社に遷された。
明治11年(1878年)に社殿を改築したが、明治41年(1908年)の六日町大火により焼失した。
境内社に、疫神斉神社(八街毘古神・八街毘売神・岐戸神)、稲荷神社(宇迦御魂命)、八坂神社(素盞鳴尊)、淡島神社(少名毘古那命)、水神社(水速廼女命)、天満宮(菅原道真朝臣)がある。
このうち、水神社は奈良時代の天平年間(729年-749年)の創立、天満宮は平安時代の延喜8年(908年)の創立と伝える。
境内の大スギ14本が市の保存樹木に指定されている。
なお、式内社「坂本神社」の論社は他に、南魚沼市の大倉と宮に鎮座する式内と同名の神社、田崎の日吉神社、南魚沼郡湯沢町の魚沼神社がある。
【ご利益】
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