八海山の遥拝所の八海神社、江戸後期に現社号の宗源宣旨
[住所]新潟県南魚沼市宮590
[電話]025-774-2136
坂本神社(さかもとじんじゃ)は、新潟県南魚沼市宮にある神社。『延喜式神名帳』にある「坂本神社(越後国・魚沼郡)」に比定される式内社(小社)の論社。御朱印の有無は不明。
旧六日町宮、旧宮村。八海山の南西10キロの平地に鎮座する。創祀年代は不詳。御祭神は瓊々杵尊・木花開耶姫命。
度重なる火災により、記録もなく、詳細は不詳だが、古くは上田長尾氏の居城だった坂戸城の城主堀直寄からの寄進状があったという。歴代領主からも崇敬、庇護されていた。
八海山信仰と習合し、標高1778メートル、越後三山・日本二百名山の一つである八海山の遥拝所として、八海神社と呼ばれるようになった。
かつては社殿も、八海山を御神体山として、背になるように配されていたという。江戸時代後期の文政5年(1822年)、京都吉田家より坂本神社としての宗源宣旨が下附された。
八海山の麓の坂の下に鎮座していた、あるいは坂戸山の麓の坂の下に鎮座していたことが社号の由来だという。明治に入り、仏式が排され、明治28年(1895年)に現社号に復した。
現在の本殿は江戸時代後期の文化元年(1804年)に再建されたもので、一間社流造、銅板葺。拝殿は幕末の文久3年(1863年)建立、入母屋・銅板葺・平入・桁行3間・正面1間向拝付。
なお、式内社「坂本神社」の論社は他に、南魚沼市大倉に鎮座する式内および当社と同名の神社、田崎の日吉神社、八幡の八幡宮、南魚沼郡湯沢町の魚沼神社がある。
また、時に当社は式内社「魚沼神社」の論社ともされる。他の論社に、大倉の当社と同名の神社の他、先の湯沢町と、小千谷市に式内同名神社、小千谷市桜町の伊米神社がある。
【ご利益】
家内安全、夫婦和合、子宝・安産

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・新潟県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、新潟県に鎮座している神社の一覧

[電話]025-774-2136
坂本神社(さかもとじんじゃ)は、新潟県南魚沼市宮にある神社。『延喜式神名帳』にある「坂本神社(越後国・魚沼郡)」に比定される式内社(小社)の論社。御朱印の有無は不明。
旧六日町宮、旧宮村。八海山の南西10キロの平地に鎮座する。創祀年代は不詳。御祭神は瓊々杵尊・木花開耶姫命。
度重なる火災により、記録もなく、詳細は不詳だが、古くは上田長尾氏の居城だった坂戸城の城主堀直寄からの寄進状があったという。歴代領主からも崇敬、庇護されていた。
八海山信仰と習合し、標高1778メートル、越後三山・日本二百名山の一つである八海山の遥拝所として、八海神社と呼ばれるようになった。
かつては社殿も、八海山を御神体山として、背になるように配されていたという。江戸時代後期の文政5年(1822年)、京都吉田家より坂本神社としての宗源宣旨が下附された。
八海山の麓の坂の下に鎮座していた、あるいは坂戸山の麓の坂の下に鎮座していたことが社号の由来だという。明治に入り、仏式が排され、明治28年(1895年)に現社号に復した。
現在の本殿は江戸時代後期の文化元年(1804年)に再建されたもので、一間社流造、銅板葺。拝殿は幕末の文久3年(1863年)建立、入母屋・銅板葺・平入・桁行3間・正面1間向拝付。
なお、式内社「坂本神社」の論社は他に、南魚沼市大倉に鎮座する式内および当社と同名の神社、田崎の日吉神社、八幡の八幡宮、南魚沼郡湯沢町の魚沼神社がある。
また、時に当社は式内社「魚沼神社」の論社ともされる。他の論社に、大倉の当社と同名の神社の他、先の湯沢町と、小千谷市に式内同名神社、小千谷市桜町の伊米神社がある。
【ご利益】
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