佐々木加地氏の加治城、上杉景勝による断絶後は衰微した式内論社
藤戸社 新潟県新発田市東宮内藤戸山441
[住所]新潟県新発田市東宮内藤戸山441
[電話]-

藤戸神社(ふじとじんしゃ、藤戸社)は、新潟県新発田市東宮内藤戸山にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「美久理神社(越後国・沼垂郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

創建は鎌倉時代初期の文治5年(1189年)、当時の領主、加治荘の地頭職に就任した佐々木盛綱が、佐々木家の祖神として宇多天皇の御分霊を勧請したのが始まり。

境内は盛綱が築き、歴代佐々木加地氏の居城となった加治城の一角にあり、佐々木家の氏神、加地城の鎮守社として崇敬、庇護された。

社号である藤戸は、元暦元年(1184年)、盛綱が源平合戦の一つである藤戸の戦いで、見事敵の大将である平行盛との激闘に勝利したことに由来する。

藤戸の戦いの逸話は、『平家物語』でも取り上げられ、謡曲「藤戸」の題材にもなっている。

鎌倉期創建の神社であれば、式内社の可能性はない。ただ、菅與吉が『菅谿史跡』において、また『神社覈禄』でも、沼垂郡加治郷白山権現として、当社を比定している。

盛綱が加治城を築城する際に、当地に存在した式内社「美久理神社」を、城郭の一角に組み込み、当社が成立した、という可能性がある。

ただ、当社そのものとしては、式内社としての由緒は伝えていない。

加治氏は南北朝時代は周辺の国人や領主を束ねる立場だったが、室町時代中期以降は越後守護職の上杉家や守護代の長尾家の台頭などで次第に衰微した。

御館の乱で、上杉影虎陣営に付き五十公野氏に攻められ加治城は落城。天正15年(1587年)の新発田の乱でも落城した。

慶長2年(1597年)、上杉景勝の命により加治氏が断絶すると当社は庇護者を失い、衰微した。

江戸時代は神仏習合し、加治明神などと称したが、明治になり、村社に列し、現社号に改めた。

明治33年(1900年)には石川吉蔵が願主として製作された算額が、門人たちによって奉納され、市の有形文化財に指定された。

現在までに、祭神は大国主大神、天照皇大神、宇多天皇。神紋は現在も佐々木加地氏と同様、四つ目の目結。

例祭は5月15日で、春季大祭。境内社に石動神社がある。

なお、式内社「美久理神社」の論社は他に、新潟市中央区沼垂東の白山神社、市内田貝の二王子神社がある。また、新潟市東区松崎にも、当社由緒とよく似た由緒を持つ同名の神社がある。

【ご利益】
開運招福、事業成功、縁結び、一族・子孫繁栄
藤戸社 新潟県新発田市東宮内藤戸山
【関連記事】
・新潟県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、新潟県に鎮座している神社の一覧