治田連と鴨県主の祖を奉斎、中世まで大社、信長勢の兵火に遭う
[住所]三重県いなべ市北勢町垣内718
[電話]0594-72-3443
賀毛神社(かもうじんじゃ)は、三重県いなべ市北勢町垣内にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「賀毛神社(伊勢国・員弁郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
三岐鉄道の線路の西、山の麓に鎮座する。創祀年代は不詳。境内からは石器などが出土し、治田郷は極めて古い墾田地だという。
治田連の氏人が近江国浅井郡治田郷から当地に移住して当地に治田の部落を作り、同じ祖先を持つ鴨県主の氏人も移住し、その氏神を祀ったものだという。
御祭神は彦坐命。往古より郷内6ヶ村の総宮として崇敬され、中世までは神田も数多くあって、社殿も壮麗、員弁郡の一宮で、大社だったという。
天正年間(1573年-1593年)、織田信長による北勢攻の際、長島一揆の残党が当社の別当魏竹山興正寺に駐屯したため、織田勢により伽藍や・堂宇が焼失した。
これにより、当社の社殿や社宝、記録すべて灰燼に帰した。ただ御神体は難を避け、後に一祠を設けて、奉安したという。
江戸時代初期の元和元年(1615年)、伊勢桑名藩初代藩主本多忠勝が当社殿を改造し、祀典を復旧したという。
当社には正保2年(1645年)2月に行われた遷宮の際の棟札が残る。また、寛政3年(1791年)9月銘の手水石、文化8年(1811年)8月銘の灯籠などがある。
明治5年(1872年)7月、村社に列した。明治37年(1904年)まで、毎年10月に流鏑馬・馬駆の神事が、参道で行われたという。
明治41(1908年)2月8日、村内12社が当社に合祀された。合祀された神社は拝殿に向かって左側の八百万神社(神集社)に祀られている。
右側の祠は治田連命と鴨県主命を祀る六所神社。合祀を終えた翌年には本殿・拝殿が移築され、現在の配置となった。
昭和51年(1976年)10月には大規模な境内整備が行われ、入口の石鳥居・社号碑・由緒書碑・拝殿狛犬・石灯籠などが建立された。
拝殿は平成8年(1996年)11月23日に再建された。
例祭は10月10日で、地元治田小学校の児童が乙女の舞を披露、榊を持って優雅に舞う朝日舞も奉納された。大祭は3月15日と11月23日。
宮司家は民上(みかみ)家。清和源氏土岐氏の流れを汲む武家で、関ヶ原の戦いに敗れて美濃太田、現在の岐阜県美濃加茂市に隠れ住み、後に当地に移住したという。
【ご利益】
地域安全、家内安全、一族・子孫繁栄

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・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
[電話]0594-72-3443
賀毛神社(かもうじんじゃ)は、三重県いなべ市北勢町垣内にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「賀毛神社(伊勢国・員弁郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
三岐鉄道の線路の西、山の麓に鎮座する。創祀年代は不詳。境内からは石器などが出土し、治田郷は極めて古い墾田地だという。
治田連の氏人が近江国浅井郡治田郷から当地に移住して当地に治田の部落を作り、同じ祖先を持つ鴨県主の氏人も移住し、その氏神を祀ったものだという。
御祭神は彦坐命。往古より郷内6ヶ村の総宮として崇敬され、中世までは神田も数多くあって、社殿も壮麗、員弁郡の一宮で、大社だったという。
天正年間(1573年-1593年)、織田信長による北勢攻の際、長島一揆の残党が当社の別当魏竹山興正寺に駐屯したため、織田勢により伽藍や・堂宇が焼失した。
これにより、当社の社殿や社宝、記録すべて灰燼に帰した。ただ御神体は難を避け、後に一祠を設けて、奉安したという。
江戸時代初期の元和元年(1615年)、伊勢桑名藩初代藩主本多忠勝が当社殿を改造し、祀典を復旧したという。
当社には正保2年(1645年)2月に行われた遷宮の際の棟札が残る。また、寛政3年(1791年)9月銘の手水石、文化8年(1811年)8月銘の灯籠などがある。
明治5年(1872年)7月、村社に列した。明治37年(1904年)まで、毎年10月に流鏑馬・馬駆の神事が、参道で行われたという。
明治41(1908年)2月8日、村内12社が当社に合祀された。合祀された神社は拝殿に向かって左側の八百万神社(神集社)に祀られている。
右側の祠は治田連命と鴨県主命を祀る六所神社。合祀を終えた翌年には本殿・拝殿が移築され、現在の配置となった。
昭和51年(1976年)10月には大規模な境内整備が行われ、入口の石鳥居・社号碑・由緒書碑・拝殿狛犬・石灯籠などが建立された。
拝殿は平成8年(1996年)11月23日に再建された。
例祭は10月10日で、地元治田小学校の児童が乙女の舞を披露、榊を持って優雅に舞う朝日舞も奉納された。大祭は3月15日と11月23日。
宮司家は民上(みかみ)家。清和源氏土岐氏の流れを汲む武家で、関ヶ原の戦いに敗れて美濃太田、現在の岐阜県美濃加茂市に隠れ住み、後に当地に移住したという。
【ご利益】
地域安全、家内安全、一族・子孫繁栄

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