境内に式内「倭文神社」跡、病気平癒に霊験、つつじの名所
[住所]三重県鈴鹿市加佐登町2010
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加佐登神社(かさどじんじゃ)は、三重県鈴鹿市加佐登町にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

日本武尊の能褒野(のぼの)陵墓と伝えられた白鳥塚古墳の横に鎮座し、日本武尊が死の間際まで持っていたといわれる笠と杖を御神体として祀る。

なお、『古事記』などにも描かれる能褒野は、一般的には亀山市の能褒野王塚古墳に比定され、近くには能褒野神社も鎮座する。

ともかく、当社は日本武尊を主祭神とし、古来、御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれていた。

また、第12代景行天皇が行在所を置いたという伝承があり、高宮の里とも呼ばれ、付近には綺宮跡や宝冠跡・宝装塚など多くの古い塚が残っている。

江戸時代後期の国学者である平田篤胤は『御笠殿社由来記』(1829年)で、腫物などの病に霊験あると記している。

明治6年(1873年)に笠殿にちなんで現社名に改称し、明治41年(1908年)に近隣の16社を合祀、村社に列した。

境内には、境内の椎山川中世墓から出土した陶器などを展示する高宮資料館がある。また、倭文神社や慈悲山廃寺があったと伝えられる。

この倭文神社は、『延喜式神名帳』にある「倭文神社(伊勢国・鈴鹿郡)」に比定される式内社(小社)。

御祭神は天羽槌雄命。もとは当社の石段登口、石段に向かって右側に熊野社があって、その境内に鎮座していたという。石段の脇に熊野神社跡の石碑がある。

当社の例祭は10月8日。その前後の日曜日に神輿・山車が町内を練り歩く。7月14日には天王祭がある。

日本武尊の命日といわれる4月8日に大祭が執行される。参道に露天が並び賑わい、多くの参拝者が訪れる。

当社神苑は県下有数のつつじ(ツツジ)の名所として知られ、その大祭の後間もなく、花祭りが行われる。

【ご利益】
病気平癒、無病息災、リフレッシュ
加佐登神社 三重県鈴鹿市加佐登町
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