土佐藩蔵屋敷の鎮守、岩崎弥太郎と三菱の崇敬社、桜の名所
[住所]大阪府大阪市西区北堀江4-9-7
[電話]06-6531-2826

土佐稲荷神社(とさいなりじんじゃ)は、大阪府大阪市西区北堀江にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建の由緒は不詳だが、長堀川畔の土佐藩蔵屋敷に古くから鎮座していた。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)の創建とも、江戸時代中期の明和7年(1770年)に伏見稲荷を勧請したものとも伝わる。

享保2年(1717年)、土佐藩6代藩主である山内豊隆が社殿を造営して蔵屋敷の鎮守社とし、一般の参拝を許した。

御祭神は、宇賀御魂大神(別名は宇迦之御魂神・倉稲魂命・保食神)を主祭神に、素盞嗚大神大市姫大神、田中大神(別名は大歳神大己貴神)も併せて祀る。

以来、山内家は参勤交代で大坂を通る際には必ず当社に参拝し、社殿の修繕は藩費で行われた。8代藩主山内豊敷が寄進した石灯籠一対が今に伝わる。

『摂津名所図会大成』には、下記の通り記されている。
稲荷神祠(いなりのやしろ) あみだ池の西土佐蔵屋敷の内にあり鎮守のいなりの神なり

近来社頭に桜を多く植えつらねてより花のころに一しほに参拝羣(ぐん)をなせり

土佐御蔵屋敷の鎮守なり相殿に祭るところ玉柏明神磐根明神といふ
慶応4年(1868年)のフランス兵殺傷事件の折、明治政府がフランス公使ロッシュの要求を容れて20名が切腹することになった。

その際、29名の者が、当社で籤を引いて決め、翌日堺の妙国寺へ護送されたという。いわゆる堺事件である。

明治初年、土佐藩蔵屋敷とともに当社は岩崎弥太郎(彌太郎)に譲り渡された。岩崎弥太郎は当地で事業を営み、三菱の発祥の地となる。

三菱商会が東京に移転する際も、土地は市に寄付したが、当社に関して、弥太郎は手放さなかった。弥太郎は当社殿の造替を行っている。

第二次大戦の大阪大空襲で社殿をほぼ全焼した。灯籠などが焼けこげているのは、その名残である。

例祭は4月上旬で春祭。夏祭が7月12日、秋祭が10月12日。夜桜献燈が4月の桜開花時に行われる。6月30日には茅輪神事がある。

境内末社に、石宮神社・若宮神社・源八社・大黒社・玉根社・磐居社がある。

境内は江戸時代より桜の名所としても有名で、宝井其角の「明星や桜定めぬ山かつら」の句碑がある。

境内の桜は大阪大空襲で全焼したが、戦後、若木が植えられ、桜の名所として復活した。当社東側に弥太郎の邸宅跡を示す碑がある。

神紋には三菱グループを表す「スリーダイヤ」が入っており、三菱グループを構成する多くの企業が神社を囲む玉垣を寄進している。

弥太郎の弟の岩崎彌之助が寄進した青銅の狛犬があり、その台座には彼の銘文が刻まれている。第12代横綱陣幕久五郎が寄進した狛狐が現存する。

【ご利益】
商売繁盛、事業成功、出世開運(公式HP
土佐稲荷神社 大阪府大阪市西区北堀江
【関連記事】
大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
土佐稲荷神社 大阪府大阪市西区北堀江の御朱印