紀州藩江戸邸内の祈願所、町民の願いで遷座、盛大な祭礼
[住所]東京都渋谷区神宮前2-2-22
[電話]03-3408-0065
熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都渋谷区神宮前にある神社。青山熊野神社とも。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代初期の元和5年(1619年)、紀伊国和歌山藩初代藩主の徳川頼宣により、その江戸邸内、現在の赤坂御所に紀州家祈願所として勧請されたことに始まる。
その後、町民の願いにより、青山路次町、現在の港区立青山中学校付近に仮殿を創建・鎮座した。御祭神は、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命・伊弉冊命。
江戸時代前期の正保元年(1644年)正月7日、現在地に遷座、翌正保2年(1645年)4月、本殿・拝殿などが完成、青山総鎮守となった。
初めは、紀州徳川家の鎮守であったものが、移遷後に青山総鎮守となった経緯から、その後も神社の祭礼の際には紀州家からの代参があったという。
華麗な社殿と、俗謡に「青山に過ぎたるものが二つあり、鳶の薬缶に原宿の山車」と唄われるように、盛大な祭礼でも知られた。
江戸時代に作られた『江戸名所図会』にも、江戸の名所の一つとして描かれ、「別当ハ真言宗にして浄性院と号す」とある。
社号は当初「熊野大権現」だったが、明治維新時の神仏分離により、明治2年(1869年)に熊野神社に改称された。
東京大空襲により社殿などは全て焼失したが、戦後再興し、昭和44年(1969年)9月21日には現社殿が完成した。
境内東側には平成3年(1991年)4月、地上5階・地下1階建ての熊野神社ビルが竣工した。1階には社務所が入り、残りは不動産賃貸。地階には出版社である三修社の本社がある。
例祭は9月21日。現在は9月第4土・日曜日。神輿の宮出し、宮入りがある。外苑東通りから青山通り、明治神宮外苑の銀杏並木などで渡御が行われる。
境内社に、伏見稲荷神社(大宮能売ノ大神・宇賀ノ御霊ノ大神・佐田彦ノ大神・田中ノ大神)、御嶽神社(大己貴ノ命・少彦名ノ命)、秋葉神社(火ノ加具土ノ神)がある。
授与品には、「JFA公認サッカー御守」がある。
【ご利益】
商売繁盛、事業成功、子宝・安産
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熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都渋谷区神宮前にある神社。青山熊野神社とも。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代初期の元和5年(1619年)、紀伊国和歌山藩初代藩主の徳川頼宣により、その江戸邸内、現在の赤坂御所に紀州家祈願所として勧請されたことに始まる。
その後、町民の願いにより、青山路次町、現在の港区立青山中学校付近に仮殿を創建・鎮座した。御祭神は、五十猛命・大屋津姫命・抓津姫命・伊弉冊命。
江戸時代前期の正保元年(1644年)正月7日、現在地に遷座、翌正保2年(1645年)4月、本殿・拝殿などが完成、青山総鎮守となった。
初めは、紀州徳川家の鎮守であったものが、移遷後に青山総鎮守となった経緯から、その後も神社の祭礼の際には紀州家からの代参があったという。
華麗な社殿と、俗謡に「青山に過ぎたるものが二つあり、鳶の薬缶に原宿の山車」と唄われるように、盛大な祭礼でも知られた。
江戸時代に作られた『江戸名所図会』にも、江戸の名所の一つとして描かれ、「別当ハ真言宗にして浄性院と号す」とある。
社号は当初「熊野大権現」だったが、明治維新時の神仏分離により、明治2年(1869年)に熊野神社に改称された。
東京大空襲により社殿などは全て焼失したが、戦後再興し、昭和44年(1969年)9月21日には現社殿が完成した。
境内東側には平成3年(1991年)4月、地上5階・地下1階建ての熊野神社ビルが竣工した。1階には社務所が入り、残りは不動産賃貸。地階には出版社である三修社の本社がある。
例祭は9月21日。現在は9月第4土・日曜日。神輿の宮出し、宮入りがある。外苑東通りから青山通り、明治神宮外苑の銀杏並木などで渡御が行われる。
境内社に、伏見稲荷神社(大宮能売ノ大神・宇賀ノ御霊ノ大神・佐田彦ノ大神・田中ノ大神)、御嶽神社(大己貴ノ命・少彦名ノ命)、秋葉神社(火ノ加具土ノ神)がある。
授与品には、「JFA公認サッカー御守」がある。
【ご利益】
商売繁盛、事業成功、子宝・安産
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