室町期の奉斎、神職は若林氏、8月には「棚沢の獅子舞」
[住所]東京都西多摩郡奥多摩町棚沢517
[電話]-
熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都西多摩郡奥多摩町棚沢にある神社。棚沢熊野神社とも。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
室町時代の文安3年(1446年)、榊原清水氏によって奉斎されたという。神職は若林氏が務め、主馬などの受領名を名乗った。
御祭神は、伊奘諾命・泉津事解男命・速玉男命。あるいは、伊奘諾命・伊奘册命の2柱とも。
『新編武蔵風土記』には「除地三畝九歩、村の西北の辺にあり、神主を若林主馬と云。京都吉田家の配下、社は三尺八寸に五尺、南向き、社前に鳥居を立つ」とある。
棚沢村では東地区は将門神社を鎮守としていたが、明治41年(1908年)、当社に合祀され、村の鎮守の一本化が図られた。
現在は、将門神社も存在し、当社の東南数百メートル、JRの線路を越えたところに、将門神社は鎮座する。
例祭は8月第3日曜日。「棚沢の獅子舞」で知られる。
早朝から村内の拝所めぐりが行われる。当社で社殿を7周して舞を奉納してから、山の神・愛宕神社・獅子宿・将門神社・不動堂・正法院などを巡る。
起源は定かでないはが、享保年間(1716年-1736年)に一時中断したが、文政年間(1819年-1829年)に岡嵯峨衛門が、大氷川の奥氷川神社の獅子舞を伝えたという。
舞立ちの構成は舞方3人、花笠4人、はやし方3人、笛方、唄方は数人ずつ。
獅子舞いは当社境内にある農村歌舞伎の舞台でも舞われ、その前には立派な石積みの観客席がある。
舞台としては小丹波熊野神社のものの方が有名であるが、観客席は当社のほうが立派である。
境内社に稲荷社などがある。
【ご利益】
家内安全、地域安全、無病息災、病魔退散

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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都西多摩郡奥多摩町棚沢にある神社。棚沢熊野神社とも。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
室町時代の文安3年(1446年)、榊原清水氏によって奉斎されたという。神職は若林氏が務め、主馬などの受領名を名乗った。
御祭神は、伊奘諾命・泉津事解男命・速玉男命。あるいは、伊奘諾命・伊奘册命の2柱とも。
『新編武蔵風土記』には「除地三畝九歩、村の西北の辺にあり、神主を若林主馬と云。京都吉田家の配下、社は三尺八寸に五尺、南向き、社前に鳥居を立つ」とある。
棚沢村では東地区は将門神社を鎮守としていたが、明治41年(1908年)、当社に合祀され、村の鎮守の一本化が図られた。
現在は、将門神社も存在し、当社の東南数百メートル、JRの線路を越えたところに、将門神社は鎮座する。
例祭は8月第3日曜日。「棚沢の獅子舞」で知られる。
早朝から村内の拝所めぐりが行われる。当社で社殿を7周して舞を奉納してから、山の神・愛宕神社・獅子宿・将門神社・不動堂・正法院などを巡る。
起源は定かでないはが、享保年間(1716年-1736年)に一時中断したが、文政年間(1819年-1829年)に岡嵯峨衛門が、大氷川の奥氷川神社の獅子舞を伝えたという。
舞立ちの構成は舞方3人、花笠4人、はやし方3人、笛方、唄方は数人ずつ。
獅子舞いは当社境内にある農村歌舞伎の舞台でも舞われ、その前には立派な石積みの観客席がある。
舞台としては小丹波熊野神社のものの方が有名であるが、観客席は当社のほうが立派である。
境内社に稲荷社などがある。
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