鎌倉末期の戦乱で焼失、道興准后の歌、度々の戦災と復興
[住所]東京都国分寺市西恋ヶ窪1-27-17
[電話]042-323-9983

熊野神社(くまのじんじゃ)は、東京都国分寺市西恋ヶ窪にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創祀年代は不詳。元弘3年・正慶2年(1333年)、新田義貞と鎌倉勢と戦の時、兵火により焼失したとされ、それ以前までには創建されていた。

和歌山熊野の大神を勧請、鎮祭したもので、御祭神は、伊邪那岐大神伊邪那美大神家津御子大神

室町時代の応永年間(1394年-1428年)、社殿が再建された。文明18年(1486年)5月、聖護院道興准后が東行の折、下記の歌を奉納、境内に石碑がある。
『廻国雑記』
朽ち果てぬ 名のみ残れる 恋ヶ窪 今はた訪ふも 知記りならずや
戦国時代の天正18年(1590年)、兵火により、社殿や社宝を焼失。慶長2年(1597年)9月、再建され、再勧請された。

江戸時代前期の寛文10年(1670年)8月、社殿が改築された。延宝6年(1678年)6月、代官野村彦太夫・中川八郎右衛門支配の時、社地1反3畝1歩が給せられた。

江戸時代中期の宝暦13年(1762年)12月、本殿が造営された。

『新編武蔵風土記稿』には「熊野権現社、社地一反三畝一歩、村の中央にあり、覆屋3間四方、前に石階十五級あり、村内東福寺の持」とある。

明治6年(1873年)、村社に列したが、明治10年(1877年)10月、暴風のために社殿が倒潰。その後復興に着手し、明治16年(1883年)9月に竣工した。

明治40年(1907年)5月、神饌幣帛料供進社に指定された。大正12年(1923年)9月1日、関東大震災で社殿が大破、昭和3年(1928年)4月、大修理が行われた。

昭和20年(1945年)4月4日、米国機の爆撃に遭い、社殿は再び大破。昭和23年(1948年)2月、社殿の復旧が完成した。

昭和31年(1956年)、社務所を新築し、昭和41年(1966年)、社殿が改築竣功。昭和48年(1973年)には手水舎を新築した。

例祭は9月9日。現在は9月第1土曜日が宵宮で子ども神輿、翌日曜日が例大祭で、神輿、大太鼓宮出し・宮入り、神輿火渡りがある。

1月中旬にどんど焼き、2月には節分祭がある。7月には盆踊りが行われる。

境内末社に、古峰神社(日本武尊。例祭は5月7日)、八雲神社(須佐之男大神。同9月8日)、八幡神社(応神天皇神功皇后・比咩大神。同11月24日)がある。

【ご利益】
平穏安寧、子孫繁栄、縁結び、厄災除け(公式HP
熊野神社 東京都国分寺市西恋ヶ窪
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熊野神社 東京都国分寺市西恋ヶ窪の御朱印