古代金属鉱採取、機織り集団の穴師族、2月によいよい神事
[住所]三重県松阪市立田町550
[電話]-
穴師神社(あなしじんじゃ)は、三重県松阪市立田町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「穴師神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
創祀年代は不詳。『勢国見聞集』に「飯南郡穴師神社式内立田村に坐す。神名帳多気郡なり。祭神天多奈波大姫命。俗に杉社と称す。杉一株あり」とある。
『勢陽五鈴遺響』に「今俗同処ノ北田畔ノ間ニ杉社ト称スアリ。此ニ充ツ祭神穴織神。上七見ノ奈々美神社ヨリ十三丁」とある。
また『朝見村沿革史』に「村社穴師神社ハ大字立田字里中ニ鎮座シ、素盞鳴尊ヲ祀ル。本社ハ延喜年間以前ノ創建ニシテ古来ノ鎮座地ハ三本杉トアリ」。
福村正衡『式内神社旧地発見上申書』には古址として、「多気郡佐奈村大字神坂字北山、金剛座寺所在地ニアリ」としている。
「該寺ハ此穴師神社ノ所在地二別当寺院ヲ建立シテ穴師寺又ハ穴師子寺トモ云ヒシナリ」とある。
古代金属鉱採取に従事した穴師族の社だという。穴師族の移住は大和から、あるいは水銀採掘で栄えた丹生地域から、ともされる。
穴師は穴織に通じ、機織技術に長じた集団で、この地方で機織が盛んだった名残りだという。また強い西北の風を神風と崇め、豊作を祈願した。
大和国穴師との関係も示唆され、兵主と結びつき、現在の御祭神は素盞嗚尊となっている。ただ、近世までは「愛宕さん」と呼ばれていた。
明治に入り、式内比定された。式内社「穴師神社」の論社は他に、多気町仁田の佐那神社に合祀された神坂村八柱神社がある。
明治41年(1908年)12月3日に、大字朝田の意非多神社・大字和屋の畠田神社・大字佐久米の御薗神社・大字大宮田の八雲神社を合祀した。
また、明治43年(1910年)8月24日に山神社を合祀した。昭和22年(1947年)2月11日に、上記神社をすべてもとの地に分祀した。
合祀した意非多神社は、飯野郡の式内社である。現在、朝田に復社しているが、他の論社に西黒部に式内同名神社がある。
現在までに、穴織神・天忍穂耳命・大山祇命を配祀する。例祭は2月11日で、四藺神事(よいよい神事)がある。
当日、旧朝見地区の和屋・立田・朝田の氏子の若者達が、長さ7メートルの青竹の先に幣をつけたオハケを「よいよい」と威勢のよい掛け声でリレー式に送る。
五穀豊穣と厄祓いを願うもので、その起源は、祖先神崇敬と同族の自覚団結を意図したものと考えられる。
一方、長田荘司忠致の故事も伝承されている。また、12月15日が新嘗祭で秋祭り。
【ご利益】
産業振興、事業成功、厄災除け、家内安全

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創祀年代は不詳。『勢国見聞集』に「飯南郡穴師神社式内立田村に坐す。神名帳多気郡なり。祭神天多奈波大姫命。俗に杉社と称す。杉一株あり」とある。
『勢陽五鈴遺響』に「今俗同処ノ北田畔ノ間ニ杉社ト称スアリ。此ニ充ツ祭神穴織神。上七見ノ奈々美神社ヨリ十三丁」とある。
また『朝見村沿革史』に「村社穴師神社ハ大字立田字里中ニ鎮座シ、素盞鳴尊ヲ祀ル。本社ハ延喜年間以前ノ創建ニシテ古来ノ鎮座地ハ三本杉トアリ」。
福村正衡『式内神社旧地発見上申書』には古址として、「多気郡佐奈村大字神坂字北山、金剛座寺所在地ニアリ」としている。
「該寺ハ此穴師神社ノ所在地二別当寺院ヲ建立シテ穴師寺又ハ穴師子寺トモ云ヒシナリ」とある。
古代金属鉱採取に従事した穴師族の社だという。穴師族の移住は大和から、あるいは水銀採掘で栄えた丹生地域から、ともされる。
穴師は穴織に通じ、機織技術に長じた集団で、この地方で機織が盛んだった名残りだという。また強い西北の風を神風と崇め、豊作を祈願した。
大和国穴師との関係も示唆され、兵主と結びつき、現在の御祭神は素盞嗚尊となっている。ただ、近世までは「愛宕さん」と呼ばれていた。
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また、明治43年(1910年)8月24日に山神社を合祀した。昭和22年(1947年)2月11日に、上記神社をすべてもとの地に分祀した。
合祀した意非多神社は、飯野郡の式内社である。現在、朝田に復社しているが、他の論社に西黒部に式内同名神社がある。
現在までに、穴織神・天忍穂耳命・大山祇命を配祀する。例祭は2月11日で、四藺神事(よいよい神事)がある。
当日、旧朝見地区の和屋・立田・朝田の氏子の若者達が、長さ7メートルの青竹の先に幣をつけたオハケを「よいよい」と威勢のよい掛け声でリレー式に送る。
五穀豊穣と厄祓いを願うもので、その起源は、祖先神崇敬と同族の自覚団結を意図したものと考えられる。
一方、長田荘司忠致の故事も伝承されている。また、12月15日が新嘗祭で秋祭り。
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