もとは式内「林神社」、明治期に式内論社含む村内40社を合祀
津田神社 三重県多気郡多気町井内林159-1
[住所]三重県多気郡多気町井内林159-1
[電話]-

津田神社(つだじんじゃ)は、三重県多気郡多気町井内林にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「林神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

もとは式内社名の神社。創祀年代は不詳。『延喜式』斎宮寮によると、斎宮の祈年祭、新嘗祭に預かり、絹・木綿・麻・楯などが座別祭料として供進された。

江戸時代中期の享保年間(1716年-1736年)、和歌山藩は「禁殺生」の棒石が建設され、社域の四隅に「林神社」と記した石柱が建立された。

しかし、江戸時代後期の文政元年(1818年)11月、火災により古記録を焼失。由緒なども不明となった。

当社近くの光徳寺に当社の本地仏である薬師があったという。当社の神宮寺だろうか。

明治6年(1873年)3月、村社に列し、明治41年(1908年)2月11日、村内40社を合祀して、現社号に改称した。

この合祀した神社の中には、式内社「櫃倉神社」の論社が含まれている。もとは櫛田川の南岸、鍬形村に鎮座していた天神社がそれである。

鍬形村には、村社八雲八柱神社、無格社鍬山神社、無格社菅原神社があったが、この菅原神社が天神社のことだという。

鍬形村ではこの三社が明治41年1月17日に合祀されて櫃倉神社に改称、しかしその直後の翌2月に当社に合祀されたという。

この時期に当社に合祀された神社の中で、津留八柱神社は昭和31年(1956年)に、四疋田八柱神社は昭和33年(1958年)3月に、それぞれ復社した。

以上を経て、現在までの御祭神は以下の通り。

誉田別命天之忍穂耳命天之菩卑命
天津彦根命活津比子根命熊野久須比命
市寸島姫命多紀理毘売命田岐都比売命
久々野智命大山祇命蛭子命大物主命
木花開耶姫命天児屋命火之迦具土命
天照皇大神猿田彦命
八衢比古命・八衢比売命・建速素盞鳴命
木ノ国三明神・菅原道真公・火生霊命
春日大神。不詳四座

例祭は3月中旬で、春祭。

なお、式内社「林神社」の論社は他に、松阪市柿木原町の二十五柱神社に合祀されたものが、「櫃倉神社」の論社は他に、明和町中村の畠田神社に合祀されたものがある。

【ご利益】
地域安全、家内安全、厄災除け
津田神社 三重県多気郡多気町井内林
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