カゴ山近くの式内「天香山神社」、明治に合祀、昭和に復社
[住所]三重県多気郡明和町上村
[電話]-
八柱神社(やはしらじんじゃ)は、三重県多気郡明和町上村にある神社。近鉄山田線の斎宮駅の南西約2.6キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「天香山神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。もともとは金剛山大日寺の東南隅に鎮座していた。上村の産神で、明治までは八王子祠と称され、明治2年(1869年)、現社号に改称した。
御祭神はその名の通りの八柱の神々で、いわゆる五男三女命。天之忍穗耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐津比売命。
明治45年(1912年)5月23日、斎宮の竹神社に合祀されたが、昭和45年(1970年)、氏子らの願いにより、現在地に再興された。
現在地は、大日寺の西南、「かまくら一号墳」と呼ばれる5世紀後半と考えられる直径27メートルの円墳の上に小祠がある。旧地から西方50メートルの距離。
南東300メートルに「カゴ山」と称する標高30メートルの山丘があり、カマクラ古墳同様の円墳がいくつかあり、カゴ山古墳群を形成している。
この「かごやま」が、式内社名の「あまのかごやま」と通じるとして、式内論社になっている。江戸後期の国学者・神主である御巫清直による比定。
式内社「天香山神社」であれば、本来の御祭神は天香山命だったのではないか、との指摘がある。なお、他の論社に、松阪市保津町に式内同名神社がある。
大日寺との関係ははっきりしないが、旧地との位置関係から見ても、旧別当寺だったことが考えられる。
合祀前の境内には若王子社という境内社があり、宇田神社と呼ばれていた。石灯籠の竿石に、宇多源氏、源俊頼の古歌が刻まれていたという。
五穀豊穣、家内安全、地域安全、一族・子孫繁栄
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八柱神社(やはしらじんじゃ)は、三重県多気郡明和町上村にある神社。近鉄山田線の斎宮駅の南西約2.6キロ。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「天香山神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。もともとは金剛山大日寺の東南隅に鎮座していた。上村の産神で、明治までは八王子祠と称され、明治2年(1869年)、現社号に改称した。
御祭神はその名の通りの八柱の神々で、いわゆる五男三女命。天之忍穗耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐津比売命。
明治45年(1912年)5月23日、斎宮の竹神社に合祀されたが、昭和45年(1970年)、氏子らの願いにより、現在地に再興された。
現在地は、大日寺の西南、「かまくら一号墳」と呼ばれる5世紀後半と考えられる直径27メートルの円墳の上に小祠がある。旧地から西方50メートルの距離。
南東300メートルに「カゴ山」と称する標高30メートルの山丘があり、カマクラ古墳同様の円墳がいくつかあり、カゴ山古墳群を形成している。
この「かごやま」が、式内社名の「あまのかごやま」と通じるとして、式内論社になっている。江戸後期の国学者・神主である御巫清直による比定。
式内社「天香山神社」であれば、本来の御祭神は天香山命だったのではないか、との指摘がある。なお、他の論社に、松阪市保津町に式内同名神社がある。
大日寺との関係ははっきりしないが、旧地との位置関係から見ても、旧別当寺だったことが考えられる。
合祀前の境内には若王子社という境内社があり、宇田神社と呼ばれていた。石灯籠の竿石に、宇多源氏、源俊頼の古歌が刻まれていたという。
曙に 宇田の畔より 立鴨の 羽根かり音や 萬代のかず【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、地域安全、一族・子孫繁栄
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