称徳天皇が道鏡の故郷に建てた由義宮跡、戦乱で衰微、江戸前期に再興
由義神社 大阪府八尾市八尾木北5-172
[住所]大阪府八尾市八尾木北5-172
[電話]072-991-9727 - 御劔神社

由義神社(ゆぎじんじゃ)は、大阪府八尾市八尾木北にある神社。御朱印の有無は不明。

奈良時代の神護景雲3年(769年)、称徳天皇が2月から4月に再度当地に行幸し、西京として、造由義大宮司や造由義寺司が置かれた。

河内国は河内職とされた。宮域は大県、若江、高安の3郡にわたる広大なものでだった。当地付近は、弓削道鏡の故郷。これが由義宮である。

しかし同年8月に称徳天皇は崩御、道鏡が下野国へ下向した直後に河内職は河内国に戻された。

その西の京と呼ばれた由義宮の跡地に創祀されたのが当社。創建年代は不明。

「式内河内五社の一社」と石碑にあるが、河内国の式内社は五社にとどまらず、有力な五社を抽出するのも難しい。

さらに、その中に当社が入ることはより難しく、そもそも河内国の式内社はすべて特定されており、その中に当社名はない。

なお、由義宮の跡地については、他に都塚の都留美島神社が候補地であり、こちらは正真正銘の河内国の式内社である。

また、市内弓削町東弓削には二社一対とされる式内社の弓削神社があり、弓削氏の足跡を色濃く残す地ではある。

当社は中世、兵火により度々焼失、住民離散などもあって衰微したが、江戸時代になり、その前期の貞享3年(1687年)、再建された。

その際、氏地に水害が多く、これを防ごうと、改めて、素盞鳴命少彦名命を奉斎し、現社号を定めたという。

以来、社殿は江戸時代後期の文化3年(1807年)、明治8年(1875年)、明治39年(1906年)、大正13年(1924年)に改修された。

300坪あまりの境内には、本殿・幣殿・拝殿・絵馬所があり、境内末社として、皇大神社を祀る。氏地は八尾木中田で、夏祭は7月20日、秋祭は10月20日。

【ご利益】
五穀豊穣、厄災除け、病気平癒、諸願成就
由義神社 大阪府八尾市八尾木北
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