四神相応の鎮座地、正法寺との関係、近世は天神の「大蛇宮」
国中神社 大阪府四條畷市清滝中町4-48
[住所]大阪府四條畷市清滝中町4-48
[電話]072-862-0718

国中神社(くになかじんじゃ、國中神社)は、大阪府四條畷市清滝中町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 讃良郡「国中神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

東は生駒山・飯盛山の麓より流れくる清滝川に沿い、西は大阪平野を見晴らし、南は浪速の港より奈良の都へ通じる清滝街道に接し、北は清滝古墳群の丘陵地に囲まれた景勝地。

四神相応の鎮座地とされ、これが社号の由来か。創祀年代や由緒は不詳。

当地に居した氏族の氏寺だった正法寺の旧跡があることから、新羅系とされる宇努氏の氏祖を祀ったもの、とも。

古来、「大蛇宮」と称されている。「大蛇すなわち龍を農耕に必要な水を掌る水神・農業神として崇拝したもの」との指摘もあるが、なぜこの別称があるのかは不詳。

ただ、近世のこと。当時神社の境内地や社前の道路は死人など不浄の通るのを忌諱した習慣があった。

しかし、大和郡山の藩士が武士の権限を笠にきて、縁者の葬礼を通そうとした時、社殿の近くから大蛇が現れ、その一行の通行を妨げた、という伝承があるという。

御祭神は、国常立尊。境内の若宮社(菅原道真公)が江戸時代前期の寛永年間(1624年-1645年)に倒壊したことにより合祀したという。

そのため、近世には中野天神とも呼ばれた。現在も境内には「天満宮」の名が入った手水鉢が安置されている。

また、大正6年(1918年)2月、逢阪村鎮座の大上宮神社(天照皇大神猿田彦大神)を合祀した。

旧社殿は江戸時代前期の延宝年間(1673年-1681年)の建築と推定され、中期の安永8年(1779年)と後期の天保3年(1833年)に改修されている。

昭和29年(1954年)1月、本殿の屋根葺き替え、神具庫の修理が行われ、昭和40年(1965年)には拝殿の改築・本殿が修理された。

社務所は平成6年(1994年)3月に焼失したが翌平成7年(1995年)5月に再建。社殿や神具庫は平成12年(2000年)12月に大改修された。

例祭は10月16日。境内摂社に、雨宮社・三神社・稲荷社・八坂社(祇園社)・吉備社の合祀殿がある。

南側からの登り口の脇の手洗い鉢の後ろに大きな石が立っている。中野の正法寺の境内に石棺を流用した貯水槽があるが、この石が石棺の蓋だという。

その横に、「よりあえば1つの石棺ここにあり」と詠まれた郷土かるたの句碑が建てられている。

【ご利益】
五穀豊穣、家内安全、安産、学業・受験合格(公式HP
国中神社 大阪府四條畷市清滝中町
【関連記事】
大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
国中神社 大阪府四條畷市清滝中町の御朱印