式内「津桙神社」、鎌足社など合祀、徳川秀忠本陣跡の忍岡古墳
[住所]大阪府四條畷市岡山2-7-12
[電話]072-877-1850
忍陵神社(にんりょうじんじゃ)は、大阪府四條畷市岡山にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社名は、附近にある忍ケ丘駅の駅名の由来となっている。「にんりょうじんじゃ」と読まれることもある。
もとは津桙神社(つのほこじんじゃ)で、『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 讃良郡「津桙神社」に比定される式内社(小社)。
津桙神社は、創祀年代は不詳。もとは当地の古代豪族である宇努連(うののむらじ)、早良臣(さはらのおみ)、佐良良連(さららむらじ)、津桙氏の氏神と考えられる。
後に品陀和気命(応神天皇)を氏神とされるようになったものとみられる。
天武天皇の時代に役行者が開基したとの伝承もある。平安時代に熊野信仰がさかんになると、熊野大神が合祀された。
もとの鎮座地は現在地より南、岡山村坪井の通称「赤山」だったが、江戸時代に現在地に遷座し、当地にあった鎌足社(藤原鎌足)を合祀した。
境内には歌碑があり、忍の岡古歌とある。下二つには「忍の岡」の地名は見られないが、『古今和歌集』に収録された、当地で歌われたものだという。
明治44年(1911年)、旧砂村の村社馬守神社(馬守大神)、無格社大将軍社(大将軍神)を合祀、現社号に改称した。現在は藤原鎌足を主祭神とする。
なお、馬守神社は、裟羅羅馬飼部の居住地に、馬の生首が祀られていたという。斉明天皇の行幸地、神功皇后が軍馬の安全を祈願した地ともされている。
氏地は、岡山・岡山東・砂。例祭は旧暦11月8日だったが、現在は10月17日で、秋祭。
現在地は、忍岡古墳。昭和9年(1934年)の室戸台風で社殿が倒壊し際、その修復作業中に前方後円墳の竪穴式石室が発見されたもの。石室は府指定文化財。
全長87メートルの前方後円墳で、4世紀中ごろの古墳時代に作られたものである。
また、三好長慶が飯盛山城を居城とした永禄3年(1560年)頃に飯盛山の北東にある現在地の丘陵を利用して築かれた支城である岡山城の跡ともされる。
永禄年間(1558年-1570年)・天正年間(1573年-1593年)には当時の城主である結城氏が熱心なキリシタンで、キリシタン信仰の拠点となった。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、徳川秀忠の本陣が置かれ、勝利したことから縁起の良い地として御勝山とも称された。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、事業成功、出世開運、厄災除け

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[電話]072-877-1850
忍陵神社(にんりょうじんじゃ)は、大阪府四條畷市岡山にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社名は、附近にある忍ケ丘駅の駅名の由来となっている。「にんりょうじんじゃ」と読まれることもある。
もとは津桙神社(つのほこじんじゃ)で、『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 讃良郡「津桙神社」に比定される式内社(小社)。
津桙神社は、創祀年代は不詳。もとは当地の古代豪族である宇努連(うののむらじ)、早良臣(さはらのおみ)、佐良良連(さららむらじ)、津桙氏の氏神と考えられる。
後に品陀和気命(応神天皇)を氏神とされるようになったものとみられる。
天武天皇の時代に役行者が開基したとの伝承もある。平安時代に熊野信仰がさかんになると、熊野大神が合祀された。
もとの鎮座地は現在地より南、岡山村坪井の通称「赤山」だったが、江戸時代に現在地に遷座し、当地にあった鎌足社(藤原鎌足)を合祀した。
境内には歌碑があり、忍の岡古歌とある。下二つには「忍の岡」の地名は見られないが、『古今和歌集』に収録された、当地で歌われたものだという。
『新後撰和歌集』法印覚寛江戸時代までは新宮大権現と称したが、明治5年(1872年)に旧岡山村の村社に列した。
待人になど かたらはで 郭公のひとり 忍びの岡に鳴らん
『夫木和歌集』登蓮法師
見し人の 忍の岡の 花すすき なびくは招く 心地こそすれ
僧正遍照
ちはやぶる 神やきりけん つくからに ちとせのさかも こえぬべら也
紀友則
雪ふれば 木ごとに花ぞ さきにける いづれを梅と わきておらまし
明治44年(1911年)、旧砂村の村社馬守神社(馬守大神)、無格社大将軍社(大将軍神)を合祀、現社号に改称した。現在は藤原鎌足を主祭神とする。
なお、馬守神社は、裟羅羅馬飼部の居住地に、馬の生首が祀られていたという。斉明天皇の行幸地、神功皇后が軍馬の安全を祈願した地ともされている。
氏地は、岡山・岡山東・砂。例祭は旧暦11月8日だったが、現在は10月17日で、秋祭。
現在地は、忍岡古墳。昭和9年(1934年)の室戸台風で社殿が倒壊し際、その修復作業中に前方後円墳の竪穴式石室が発見されたもの。石室は府指定文化財。
全長87メートルの前方後円墳で、4世紀中ごろの古墳時代に作られたものである。
また、三好長慶が飯盛山城を居城とした永禄3年(1560年)頃に飯盛山の北東にある現在地の丘陵を利用して築かれた支城である岡山城の跡ともされる。
永禄年間(1558年-1570年)・天正年間(1573年-1593年)には当時の城主である結城氏が熱心なキリシタンで、キリシタン信仰の拠点となった。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、徳川秀忠の本陣が置かれ、勝利したことから縁起の良い地として御勝山とも称された。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、事業成功、出世開運、厄災除け

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