生駒山麓、往古の河内湾の水辺、木霊を祭祀とも、おかげ燈籠
[住所]大阪府大東市中垣内2-11
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須波麻神社(すはまじんじゃ)は、大阪府大東市中垣内にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 讃良郡「須波麻神社」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では郷社。

阪名道の西下、生駒山の山麓に鎮座する。境内は、クロガネモチの保護樹木やカシ、シイの樹木に覆われている。創祀年代は不詳。御祭神は大国主命

当地は昔、河内湾が存在し、それが河内潟、河内湖と淀川や大和川などの土砂の流入によって縮小していくことで、徐々に集落などが作られたという。

しかし、なおも深開池や深野池など大きな池が残り、当社の西はそうした池の水辺だったとされ、当初は水難除けの水神を祀ったともされる。

現在の社名は「渚浜」あるいは「洲浜」、つまり「すはま」で水辺の意。これから転じたものではないかとされる。

近くからはト骨や呪具と見られる遺物も出土しており、5-6世紀頃からの祭祀場所を継承してきた霊地だったともされる。

また、当社の西南5キロに弥生時代前期から後期にかけての瓜生堂の弥生期大遺跡があり、方形周溝墓内の木棺や、大量の農耕用木製品が検出されている。

そうした木製品の原料がこの瓜生堂の周辺にはなく、主に山地から搬入したものとされ、当社地近辺が供給地ではないかとの説がある。

そうした伐採の木霊を鎮める祭祀場だったともされ、もとの御祭神を木霊、あるいは久句能智神とする見方もある。

言い伝えによると、古くは出雲大社と同体とされ、10月7日に大祭をしていたという。讃良郡から若江郡に至るまで、数十ヶ村の氏子を抱えていた。

明治6年(1873年)に讃良郡内11ヶ村の郷社になり、明治40年(1907年)9月には寺川の大谷神社、龍間の龍間神社、深野の坐間神社の三社が合祀された。

現在は中垣内の産土神。現在の社殿は明治36年(1903年)に建立されたもので、拝殿の後ろの本殿は春日造。

境内には合計11基の燈籠があるが、境内入り口の文政13年(1830年)銘のある燈篭は、道しるべを兼ねたもので、近くの東高野街道筋から移したもの。

いわゆる「おかげ燈籠」で、江戸時代に流行した伊勢お蔭参りにからんで立てられたもの。文政13年も大流行した年。

例祭は10月16日より3日間。中垣内地車、中垣内の地車祭りと呼ばれるもので、だんじりの曳行がある。境内社に、稲荷社がある。

【ご利益】
産業振興、病気平癒、縁結び
須波麻神社 大阪府大東市中垣内
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