承久の乱での若松御所、若松宮・若松神社、境内にも式内社
[住所]大阪府大阪市住吉区沢ノ町1−10−4
[電話]06-6671-0443

止止呂支比売命神社(とどろきひめのみことじんじゃ、止止呂支比賣命神社)は、大阪府大阪市住吉区沢ノ町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 住吉郡「止杼侶支比売命神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。御祭神は素盞鳴尊稲田姫尊。長らく住吉大社の摂社(奥の院)とされていたという。

鎌倉時代の承久3年(1221年)、後鳥羽天皇が、当社境内松林内に若松御所と呼ばれる行宮を立てて以降、若松宮あるいは若松神社と呼ばれる。

現在も、正式社名が長く難解なためか、若松宮・若松神社の方が通りがよい場合がある。

後鳥羽天皇が当地に行宮を立てたのは、時の鎌倉政権打倒のための軍を起こすため。後に承久の乱と呼ばれる戦いの序章である。

後鳥羽天皇は、熊野詣でに名を借りて、浪華住吉の豪族津守一族の勢力や、大和河内の兵も集めようとしたという。

境内社に、天水分豊浦命神社がある。霰松原歩王社、または荒神社とも呼ばれる式内社である。

天水分豊浦命神社の御祭神は、天水分豊浦命(天水分命)・澳津彦神澳津姫神の三座で、寵神とする。

もとは安立2丁目に鎮座していたが、明治40年(1907年)7月30日、当社境内に遷座した。江戸時代中期の元文元年(1736年)頃に建立された社号標がある。

また、明治42年(1909年)9月18日に遠里小野町に鎮座していた無格社農神社と、住吉に鎮座していた敷津神社を合祀、大国主命事代主命を併せて祀る。

境内社に、稲荷社と黒長社がある。遥拝所の奥に、江戸時代前期の貞享3年(1686年)に奉納された灯篭がある。手水舎横にある旧手水石は元禄11年(1698年)の奉納。

氏地は、墨江各町・安立各町・浜口各町・住之江各町・西住之江各町・遠里小野各町・沢ノ町各町・殿辻各町・千躰各町・清水丘各町・南住吉2丁目-4丁目・山之内の一部。

例祭は10月7日・8日で、秋祭。10月には神輿渡御行事がある。7月には夏祭があり、境内は露店などで賑わう。

1月15日にはどんと祭「左義長」があり、2月は節分祭で、豆まきの他、ぜんざい接待も行っている。

【ご利益】
家内安全、夫婦和合、子宝・安産、厄災除け(公式HP
止止呂支比売命神社 大阪府大阪市住吉区沢ノ町
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