もとは「いなひかり」の式内「火雷神社」旧地、愛宕神を勧請
[住所]大阪府堺市中区福田484-9
[電話]072-236-6356
愛宕神社(あたごじんじゃ)は、大阪府堺市中区福田にある神社。現在は神社本庁に属さない単立神社である。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 大鳥郡「火雷神社」に比定される式内社(小社)の旧地とされる。
明治41年(1908年)2月、火雷神社は陶荒田神社に合祀され、戦後になり、その旧地に愛宕神が勧請され、当社が創建された。
火雷神社の創建年代は不詳。写本により、大電神社とあり、「いなひかり」と読む。近世に火雷神社となり、「ほのいかづち」と読まれるようになったという。
「いなひかり」と「ほのいかづち」では全く違う神格となる。御祭神も、別雷神、火雷大神、火之焼速男神、火雷命などの諸説がある。
近世には、「愛宕地藏権現」、または「愛宕大権現」と称したという。こうした経緯があって、戦後になって、旧地に愛宕神が勧請されたのかもしれない。
神宮寺は嵯峨大覚寺末寺真言律宗金龍山興源寺で、その社僧が社務に関与していたという。
明治5年(1872年)、火雷神社は村社に列した。そして、明治41年になり、合祀された。
【ご利益】
火防、厄災除け

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・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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愛宕神社(あたごじんじゃ)は、大阪府堺市中区福田にある神社。現在は神社本庁に属さない単立神社である。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 大鳥郡「火雷神社」に比定される式内社(小社)の旧地とされる。
明治41年(1908年)2月、火雷神社は陶荒田神社に合祀され、戦後になり、その旧地に愛宕神が勧請され、当社が創建された。
火雷神社の創建年代は不詳。写本により、大電神社とあり、「いなひかり」と読む。近世に火雷神社となり、「ほのいかづち」と読まれるようになったという。
「いなひかり」と「ほのいかづち」では全く違う神格となる。御祭神も、別雷神、火雷大神、火之焼速男神、火雷命などの諸説がある。
近世には、「愛宕地藏権現」、または「愛宕大権現」と称したという。こうした経緯があって、戦後になって、旧地に愛宕神が勧請されたのかもしれない。
神宮寺は嵯峨大覚寺末寺真言律宗金龍山興源寺で、その社僧が社務に関与していたという。
明治5年(1872年)、火雷神社は村社に列した。そして、明治41年になり、合祀された。
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