藤原不比等を養育した田辺史、平松王子を合祀、境内社に丸笠神社
[住所]大阪府和泉市伯太町5-22
[電話]0725-44-8182 - 泉井上神社
伯太神社(はかたじんじゃ)は、大阪府和泉市伯太町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 和泉郡「博多神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
飛鳥時代の白鳳2年(674年)の創建だという。御祭神は、伯太比古命・伯太比売命。伯太族の祖神である。
この伯太族とは右京諸蕃田邊史(田辺史)で、その中には田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ、田邊史)がいる。
天武天皇元年(672年)の壬申の乱の後、天智天皇系の皇子とされた藤原不比等がかくまわれ、養育されたのが田辺史大隅だという。
父である中臣鎌足(藤原鎌足)から引き継ぎ、藤原氏の礎を築いた不比等、この名も、この「史」から付けられたとする説がある。
田辺史の祖神である伯太比古命・伯太比売命を祀る神社に、河内国 安宿郡の式内社である伯太彦神社・伯太姫神社(はくたひこ/はくたひめ)がある。
田辺史は、漢の、あるいは百済系の渡来氏族で、藤原氏の強盛にかなりの程度影響を与えた可能性も指摘されている。
当社は、九十九王子の10番目である平松王子を合祀している。平松王子の石碑は和泉市幸町3の放光池1号公園前に立っている。
平松王子は、病気に悩んでいた白河法皇が、「この地より遥かに熊野に向かい遥拝した」ともいわれた。
明治維新までは当社境内に禅宗の新宮山龍雲寺があった。その白河法皇が勧請したもの。現在は分離され、向かい側に新宮寺として残されている。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治44年(1911年)5月29日には神饌幣帛料共進社に指定された。
大正5年(1916年)5月2日には伯太4丁目鎮座の村社丸笠神社を飛地境内末社とした。この丸笠神社も式内社。
例祭は10月10日。和泉だんじり祭りで、下伯太・上伯太の2台が出る。いわゆる和泉だんじり祭りの一つ。
境内には、江戸時代後期の天保10年(1839年)建立の狛犬などが安置されている。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、事業成功、病気平癒

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伯太神社(はかたじんじゃ)は、大阪府和泉市伯太町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 和泉郡「博多神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
飛鳥時代の白鳳2年(674年)の創建だという。御祭神は、伯太比古命・伯太比売命。伯太族の祖神である。
この伯太族とは右京諸蕃田邊史(田辺史)で、その中には田辺史大隅(たなべのふひとおおすみ、田邊史)がいる。
天武天皇元年(672年)の壬申の乱の後、天智天皇系の皇子とされた藤原不比等がかくまわれ、養育されたのが田辺史大隅だという。
父である中臣鎌足(藤原鎌足)から引き継ぎ、藤原氏の礎を築いた不比等、この名も、この「史」から付けられたとする説がある。
田辺史の祖神である伯太比古命・伯太比売命を祀る神社に、河内国 安宿郡の式内社である伯太彦神社・伯太姫神社(はくたひこ/はくたひめ)がある。
田辺史は、漢の、あるいは百済系の渡来氏族で、藤原氏の強盛にかなりの程度影響を与えた可能性も指摘されている。
当社は、九十九王子の10番目である平松王子を合祀している。平松王子の石碑は和泉市幸町3の放光池1号公園前に立っている。
平松王子は、病気に悩んでいた白河法皇が、「この地より遥かに熊野に向かい遥拝した」ともいわれた。
明治維新までは当社境内に禅宗の新宮山龍雲寺があった。その白河法皇が勧請したもの。現在は分離され、向かい側に新宮寺として残されている。
明治5年(1872年)、村社に列し、明治44年(1911年)5月29日には神饌幣帛料共進社に指定された。
大正5年(1916年)5月2日には伯太4丁目鎮座の村社丸笠神社を飛地境内末社とした。この丸笠神社も式内社。
例祭は10月10日。和泉だんじり祭りで、下伯太・上伯太の2台が出る。いわゆる和泉だんじり祭りの一つ。
境内には、江戸時代後期の天保10年(1839年)建立の狛犬などが安置されている。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、事業成功、病気平癒

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