弟橘媛の笄が漂着した地に奉斎、戦国期に富士信仰、笄塚と富士塚
[住所]東京都江東区亀戸9-15-7
[電話]03-3682-1581

亀戸浅間神社(かめいどせんげんじんじゃ)は、東京都江東区亀戸にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

第12代景行天皇の時代、日本武尊が東征の際、相模から上総へ船で向う時、海が荒れて渡れなくなった。

その際、妃の弟橘媛が自らの身を海に投じ、海を鎮めて、日本武尊を航行させた。後日、弟橘媛の笄と櫛が奥湾に漂着した。

この『古事記』にも描かれた説話ではあるが、『古事記』に髪を掻き揚げて髷を形作る装飾的な結髪用具である笄(こうがい)は出てこない。

この笄が現在の亀戸9丁目付近に漂着したと伝わる。その地はもとは高貝洲(こうがいす)と呼ばれていたという。

これを伝え聞いた景行天皇が、この地に笄を埋め、祠を立てて祀らせたという。この祠に参り、祈願すると何事も必ず聞き届けられたとも伝えられた。

戦国時代の大永7年(1527年)、富士信仰が盛んな時代に、里人たちは霊峰富士山の守護神である木花咲耶比売命を勧請、この笄塚の上に浅間社として創立したという。

江戸時代には、深川の山玉講による水盤など多数の石造物が奉納され、亀戸・大島・吾嬬の富士講を中心として信仰を集めた。寛政7年(1795年)銘の水盤が現存する。

『新編武蔵風土記稿』亀戸村の項に、「冨士浅間社」とあり、別当は普門院だったという。

安政2年(1855年)の安政江戸地震や大正12年(1923年)の関東大震災で被災し、昭和元年(1926年)に再建された。これが現在の社殿である。

平成10年(1998年)、大島・亀戸・小松川防災再開発事業にともない、現在地に遷座した。

例祭は7月1日で、山開例大祭。4年に一度に本祭神輿渡御が行われる。関東最大の茅の輪を作る、茅の輪くぐりの神事が年2回、6月と12月に行われる。

6月には御田植祭がある。境内には神田がある。と言っても、植木鉢の形式ではあるが。そこでは、イセヒカリが栽培されている。

平成になって、伊勢の神宮(伊勢神宮)の神田で発見された新種。一般には流通しない希少種だが、ネットなどで購入は可能

境内には笄塚ともされる富士塚がある。また、庚申塔・法華経供養塔・供養塔(破損仏)伝馬頭観音・地蔵供養塔・観音供養塔などがある。

境内には、水盤の他、二基の石鳥居や石燈籠、拝殿前の天水桶、石道標など数多くの文化財が安置されている。

【ご利益】
諸願成就、子宝・安産(公式HP
亀戸浅間神社 東京都江東区亀戸
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