猿藤太の伝説が残るお稲荷さん、国内最古のコンクリート社殿
[住所]東京都江東区猿江2-2-17
[電話]03-3631-2516

猿江神社(さるえじんじゃ)は、東京都江東区猿江にある神社。猿江稲荷神社とも。「猿江のお稲荷さん」として親しまれている。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創祀年代は不詳。社名、地名の由来となっている猿藤太(さるのとうた)の伝説で知られるが、その時にはすでに天照大御神宇迦之御魂神が祀られていたとも。

伝承によれば、平安時代の康平年間(1058年-1065年)、源頼義による奥州征伐、いわゆる後三年の役などで数々の武勲を打ち立てた家臣に猿藤太がいた。

武勇の士であったが、この地の入り江で力尽きてしまった。これを知った地元の漁師達が手厚く葬り、神社の境内に塚を建てて祀った。

その後、豊漁が続き、これにちなみ、猿藤太の「猿」 と、入り江の「江」の字を結び「猿江」の社名になったという。

あるいは、猿藤太の遺骸の懐中にありがたい経文一巻があったとも。遺骸は毎夜光明を放ち、一部一巻の法華経を持っていたとも。

猿藤太が亡くなったという言い伝えの遺跡は、重願寺南方の地で、池があったが埋め立てられてしまったという。

このため、当社では「サル」を大切にしており、現在も授与品には一陽開運の神猿(まさる)の守りなどが用意されている。

別当は妙寿寺。法華経第一の日蓮宗の寺で、当社縁起との関わりをうかがわせる。

妙寿寺は谷中清水町にあった妙清寺が火除け地として召し上げられ、当時の住持日受が猿江に代地を願い出て、移転し、この時、寺号を妙寿寺と改めたという。

また、当所には鎮守稲荷、つまり当社があり、住善寺という寺が別当を勤めていたが、廃寺となり、妙寿寺がその別当になったという。

明治になり、妙寿寺とは分離、妙寿寺は大正12年(1923年)の関東大震災の後、世田谷区北烏山に移転した。

関東大震災では、当社も焼失。昭和6年(1931年)、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りとして再建された。国内最古のコンクリート造社殿とも。

そのため、東京大空襲で近隣一帯の深川が灰燼に帰した時も奇跡的に難を免れ、錦糸町の駅からは一面の焼け野原に建つ当社殿が望めたという。

昭和21年(1946年)に伊勢大御神を合祀し、現社号に定めた。例祭は8月14日。3年に一度、式年大祭が8月第1土曜日に行われる。

境内社の藤森稲荷社は、江戸初期には幕府の、明治時代には宮内庁の御用材蔵に祀られたもの。平成13年(2001年)に、当社境内に遷座した。

この藤森稲荷社には、貞享3年(1686年)の石水盤、弘化5年(1858年)の石燈篭一対が伝わっていたが、遷座の際、あわせて当社に移った。

また、馬頭観音社がある。馬頭観世音の刻印の上より「馬」の絵を彫り、「馬方」の絵の石と併わせた、大小一対の珍しい碑が祀られている。

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猿江神社 東京都江東区猿江
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