荻原天神、「太陽の道」の日置、10月だんじり、1月に十日戎
[住所]大阪府堺市東区日置荘原寺町75-1
[電話]072-285-0295
萩原神社(おぎはらじんじゃ)は、大阪府堺市東区日置荘原寺町にある神社。通称は荻原天神。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀年代は不詳。社伝によれば、平安時代の天徳3年(960年)、菅原道真が祀られたという。近世には萩原山日置天神と称された。
江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)の寺社改帳が現存する最古の古文書で、それより古い記録は存在しない。
しかし、境内から発掘される平安時代の古瓦などは社伝を裏付けている。
また、神宮寺として、奈良時代に僧行基が開基したという萩原寺があったという。地名の「原寺」も、萩原寺に由来するとされる。
萩原寺は南北朝時代には戦火に遭い、その後、妙覚寺、正福寺、釈迦院、地蔵院、観音院を近村に遷したと伝えられる。
明治末期には近在より七社を合祀、現在は広大な氏子区域を有す。
日置西村の大庄屋日置氏(吉村家)の氏神は、当社に合祀されている天櫛玉命だが、日置氏は極めて天神信仰が篤かったことで知られる。
『日本書紀』に出てくる古道の「茅渟道」は、竹内峠より富田林喜志を通り、平尾、黒山から当地の日置荘、関茶屋を経て、和泉に至る道と推定されている。
その一部に当地付近がさしかかるとされている。また、日置の地名からは、太陽祭祀に関係する日置部の支配した地の可能性があるという。
当地は、北緯34度32分の線上、いわゆる「太陽の道」にあたる。このライン上の特徴の一つ、「日置」の地名や現在も日置姓が多い地域などが含まれるが、当社はその最たるもの。
日置荘は、平安時代末期の承安4年(1174年)の日記に、「興福寺領 河内國狭山郷内日置庄」と見える。
現在の本殿は平成3年(1991年)12月に完成。したもの。旧本殿も保管されており、江戸時代初期の唐破風付き一間社流造で、桃山様式を残している。
例祭は10月12日で秋祭り。その直前の日曜日にだんじりの曳行が行われる。1月15日には小正月のとんどが、4月29日には泣き相撲が行われる。
境内社に、エビス神社があり、1月9日-11日にエビス祭(十日戎)が行われ、福笹などの授与と福引き、「モチまき」が行われる。
また、稲倉魂神社(稲荷社)がある。稲荷社の社殿は約100年ぶりとなる、平成20年(2008年)に建立された。
他に、男性器の自然石からなるサイノカミ(道祖神)、荒神(火産日大神・奥津彦大神・奥津姫大神)、白龍大権現、大口神社(内宮)・豊受大神(外宮)がある。
境内には、梅園がある。200本ぐらいの梅の木が植えられている。2月から3月にかけて、境内に梅の香がただよい、観梅の参拝者も多い。
境内には他に参集殿があり、各種会合や結婚式に利用されている。
なお、当社は美原区の広国神社(廣國神社)を兼務している。
【ご利益】
学業・受験合格、子宝・安産、病気平癒(公式HP)
【関連記事】
・太陽の道とは? - 北緯34度32分のラインに連なる聖地、元伊勢・太陽信仰
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[電話]072-285-0295
萩原神社(おぎはらじんじゃ)は、大阪府堺市東区日置荘原寺町にある神社。通称は荻原天神。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創祀年代は不詳。社伝によれば、平安時代の天徳3年(960年)、菅原道真が祀られたという。近世には萩原山日置天神と称された。
江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)の寺社改帳が現存する最古の古文書で、それより古い記録は存在しない。
しかし、境内から発掘される平安時代の古瓦などは社伝を裏付けている。
また、神宮寺として、奈良時代に僧行基が開基したという萩原寺があったという。地名の「原寺」も、萩原寺に由来するとされる。
萩原寺は南北朝時代には戦火に遭い、その後、妙覚寺、正福寺、釈迦院、地蔵院、観音院を近村に遷したと伝えられる。
明治末期には近在より七社を合祀、現在は広大な氏子区域を有す。
日置西村の大庄屋日置氏(吉村家)の氏神は、当社に合祀されている天櫛玉命だが、日置氏は極めて天神信仰が篤かったことで知られる。
『日本書紀』に出てくる古道の「茅渟道」は、竹内峠より富田林喜志を通り、平尾、黒山から当地の日置荘、関茶屋を経て、和泉に至る道と推定されている。
その一部に当地付近がさしかかるとされている。また、日置の地名からは、太陽祭祀に関係する日置部の支配した地の可能性があるという。
当地は、北緯34度32分の線上、いわゆる「太陽の道」にあたる。このライン上の特徴の一つ、「日置」の地名や現在も日置姓が多い地域などが含まれるが、当社はその最たるもの。
日置荘は、平安時代末期の承安4年(1174年)の日記に、「興福寺領 河内國狭山郷内日置庄」と見える。
現在の本殿は平成3年(1991年)12月に完成。したもの。旧本殿も保管されており、江戸時代初期の唐破風付き一間社流造で、桃山様式を残している。
例祭は10月12日で秋祭り。その直前の日曜日にだんじりの曳行が行われる。1月15日には小正月のとんどが、4月29日には泣き相撲が行われる。
境内社に、エビス神社があり、1月9日-11日にエビス祭(十日戎)が行われ、福笹などの授与と福引き、「モチまき」が行われる。
また、稲倉魂神社(稲荷社)がある。稲荷社の社殿は約100年ぶりとなる、平成20年(2008年)に建立された。
他に、男性器の自然石からなるサイノカミ(道祖神)、荒神(火産日大神・奥津彦大神・奥津姫大神)、白龍大権現、大口神社(内宮)・豊受大神(外宮)がある。
境内には、梅園がある。200本ぐらいの梅の木が植えられている。2月から3月にかけて、境内に梅の香がただよい、観梅の参拝者も多い。
境内には他に参集殿があり、各種会合や結婚式に利用されている。
なお、当社は美原区の広国神社(廣國神社)を兼務している。
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