倭姫命の巡行に供奉した竹連の祖、後に伊勢斎王の居住地
[住所]三重県多気郡明和町斎宮2757-2
[電話]0596-52-2935
竹神社(たけじんじゃ)は、三重県多気郡明和町斎宮にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「竹神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
社伝によれば、第11代垂仁天皇の御宇、竹連(たけのむらじ)の祖である宇加之日子の子、吉志比古が、皇太神を奉じて伊勢巡行の倭姫命に供奉し、この地に留まった。
飛鳥時代、第36代孝徳天皇の御代に、多気郡が創設されと、その子孫が郡領に補任され、当地に定住し、祖神である長白羽神を奉斎したのが当社の始まり。
『延喜式』巻5斎宮寮には「竹上社」とあり、齋宮祈年祭神百十五座の一座。
また、同じく多気郡の式内社である竹大與杼神社、竹佐々夫江神社と合わせて、上・中・下の三社とされたと考えられている。
多気郡の中心で、当時は「竹の都」と呼ばれていたが、天皇家の皇女が、天皇に代わって伊勢の神宮(伊勢神宮)に仕える斎王制度が固まると、当地に斎王が居住する斎宮が置かれた。
現在の斎宮跡(斎宮寮遺跡)。毎年6月には「斎王まつり」が行なわれる。この伊勢斎宮跡は、北緯34度32分の線上、いわゆる「太陽の道」にあたる。
当社は、旧斎宮全村はもとより、多気郡全体の総祖神とされたという。
もとは、現在の古里公園のある字中垣内に鎮座したが、明治41年(1908年)までに下記の17社を合祀して、字東裏に遷座した。
明治40年5月に金剛坂の八幡社、八雲神社、麻尾の織絲神社、上村の八柱神社、若王子社、愛宕神社、津島神社、岩内の八柱神社、火地神社、高ノ宮八幡社、八幡社、八柱神社、池村の八柱神社、竹川の小倉神社、八幡社の15社。
明治41年9月に斎宮の野々宮神社に合祀されていた斎宮の宇志葉神社、平尾の広橋神社。
このうち、岩内の火地神社は式内論社で、岩内の光安寺に小祠がある。
他の論社に、中海の麻續神社に合祀、松阪市保津町の天香山神社に合祀、柿木原町の二十五柱神社に合祀の宇気比神社、多気町仁田の佐那神社に合祀の八柱神社がある。
また、上村の八柱神社も、式内社「天香山神社」の論社だが、昭和45年(1970年)、古社地に分祀、復社した。他の論社に、先の天香山神社がある。
明治44年(1911年)4月、勝見の丑寅社、栃木社、笛川の楠南社、荒祭社、稲荷社、中西の津島社を合祀し、斎宮神社と改称していた斎宮の野々宮神社の社地に移転した。
以上、現在までに、天照大御神・建速須佐之男命・八柱神・応神天皇・地主神・火産霊神・宇迦御魂神・大己貴命・天棚機姫命・八千々姫命・瀬織津姫神を合祀している。
例祭は4月3日。「斎宮の世だめし」といわれ、馬が背追った稲束の色によって豊兇を占う「絵馬」が神宝として本殿に保管されている。
【ご利益】
諸願成就

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[電話]0596-52-2935
竹神社(たけじんじゃ)は、三重県多気郡明和町斎宮にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「竹神社(伊勢国・多気郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
社伝によれば、第11代垂仁天皇の御宇、竹連(たけのむらじ)の祖である宇加之日子の子、吉志比古が、皇太神を奉じて伊勢巡行の倭姫命に供奉し、この地に留まった。
飛鳥時代、第36代孝徳天皇の御代に、多気郡が創設されと、その子孫が郡領に補任され、当地に定住し、祖神である長白羽神を奉斎したのが当社の始まり。
『延喜式』巻5斎宮寮には「竹上社」とあり、齋宮祈年祭神百十五座の一座。
また、同じく多気郡の式内社である竹大與杼神社、竹佐々夫江神社と合わせて、上・中・下の三社とされたと考えられている。
多気郡の中心で、当時は「竹の都」と呼ばれていたが、天皇家の皇女が、天皇に代わって伊勢の神宮(伊勢神宮)に仕える斎王制度が固まると、当地に斎王が居住する斎宮が置かれた。
現在の斎宮跡(斎宮寮遺跡)。毎年6月には「斎王まつり」が行なわれる。この伊勢斎宮跡は、北緯34度32分の線上、いわゆる「太陽の道」にあたる。
当社は、旧斎宮全村はもとより、多気郡全体の総祖神とされたという。
もとは、現在の古里公園のある字中垣内に鎮座したが、明治41年(1908年)までに下記の17社を合祀して、字東裏に遷座した。
明治40年5月に金剛坂の八幡社、八雲神社、麻尾の織絲神社、上村の八柱神社、若王子社、愛宕神社、津島神社、岩内の八柱神社、火地神社、高ノ宮八幡社、八幡社、八柱神社、池村の八柱神社、竹川の小倉神社、八幡社の15社。
明治41年9月に斎宮の野々宮神社に合祀されていた斎宮の宇志葉神社、平尾の広橋神社。
このうち、岩内の火地神社は式内論社で、岩内の光安寺に小祠がある。
他の論社に、中海の麻續神社に合祀、松阪市保津町の天香山神社に合祀、柿木原町の二十五柱神社に合祀の宇気比神社、多気町仁田の佐那神社に合祀の八柱神社がある。
また、上村の八柱神社も、式内社「天香山神社」の論社だが、昭和45年(1970年)、古社地に分祀、復社した。他の論社に、先の天香山神社がある。
明治44年(1911年)4月、勝見の丑寅社、栃木社、笛川の楠南社、荒祭社、稲荷社、中西の津島社を合祀し、斎宮神社と改称していた斎宮の野々宮神社の社地に移転した。
以上、現在までに、天照大御神・建速須佐之男命・八柱神・応神天皇・地主神・火産霊神・宇迦御魂神・大己貴命・天棚機姫命・八千々姫命・瀬織津姫神を合祀している。
例祭は4月3日。「斎宮の世だめし」といわれ、馬が背追った稲束の色によって豊兇を占う「絵馬」が神宝として本殿に保管されている。
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