造船技術集団の船木氏と関連? 舟木遺跡「太陽の道」の西端
[住所]兵庫県淡路市舟木514-11
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舟木石上神社(ふなきいわがみじんじゃ)は、兵庫県淡路市舟木にある神社。旧津名郡北淡町任井。単に石上神社、あるいは舟木石神座とも。御朱印の有無は不明。

弥生時代後期の遺跡群の一つで、標高約150メートルに位置し、範囲は約40ヘクタールに及ぶ舟木遺跡の中央部。伊勢の森とも呼ばれる地。

その巨石祭祀跡として位置づけられるが、祭祀は今も厳粛に続けられている。証拠がそろっている2000年以上続く現役の祭祀場である。

北緯34度32分の線上、いわゆる「太陽の道」の一番西の端にある磐座、および磐座群を奉斎している。

春分と秋分の日に太陽が通るラインであるこの太陽の道は、東の三重県鳥羽市の八代神社がある神島から、西は淡路島の当地まで、東西およそ200キロメートル。

東から、神島・伊勢斎宮跡・三輪山箸墓古墳二上山大鳥大社伊勢久留麻神社などが連なっている。

その中心点が箸墓古墳であり、東西両端にあたる神島と当地は、ほぼ等間隔に位置する。伊勢ゆかりの伊勢久留麻神社の西の峠を越えたところに当地がある。

境内はそれほど広くはないが、女陰型に組んであるものや、三角形をした岩のまわりに多くの矢を突き刺した珍しい磐座が祀られている。

「太陽の道」からも、太陽信仰が明らかな当地。『古事記』にも邇邇芸命の言葉として、「朝日のたださす国、夕日の日照る国」と記載される。

もともと日の神は、太陽神の本体として、天照皇大神と大日如来が想定され、当地では両者を勧請して祀っているという。

これら太陽を信仰する地には、「日を迎える座」と「日を追う座」があるという。それぞれ、朝日に向かって、夕日に向かって祭事を行う。

前者は男性が、後者は女性が祭事を司るとされ、当社は前者にあたり、長らく女人禁制が守られてきた。

現在では脇に女性が参拝できるような参道が設けられている。しかし、当地民の間では今なお、女人禁制の縛りはあるという。

舟木という地名から、『住吉大社神代記』にある「大八嶋国の天の下に日神を出し奉るは船木の遠つ神、大田田神なり」との関わりが指摘される。

「日神を出し奉る」と明記される、造船技術に長けていたこの船木氏とその一族の祭祀場が当社ともされる。

ちなみに、舟木遺跡では大規模な集落はあったものの、稲作の跡は見られず、何らかの専門工房だった可能性が指摘され、まさに造船の専門集団の船木氏に合致する。

また、舟木から南西方向に5キロほどの地には、同じく弥生時代後期にあたる国内最大級の鉄器工房跡五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)が存在する。

船木氏は、住吉大社摂社となっている船玉神社紀伊三所神の創建にも関わっており、淡路・摂津・紀伊・伊勢にその足跡を残している。

関連は不明ながら、太陽の道のライン上に位置する二上山には、葛木二上神社が鎮座し、物部系のものと思われる船に関する伝承が残る。

船木氏の本貫は伊勢国佐那県で、三重県多気郡多気町仁田に佐那神社が鎮座する。その御祭神である天手力男命は、天岩戸隠れで有名であり、日の神と通じる。

【ご利益】
開運招福、平穏安寧
舟木石上神社 兵庫県津名群北淡町任井舟木
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