手間天神・申の宮、静御前ゆかりの式内論社、一遍上人も参拝
[住所]兵庫県淡路市志筑907-1
[電話]0799-80-5001 - 伊弉諾神宮
志筑神社(しづきじんじゃ)は、兵庫県淡路市志筑にある神社。通称は「天神さん」。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「志筑神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀・創建年代は不詳。もとは手間天神や申之宮(申の宮)と称されてた。御祭神は少彦名神。ただし、熊野若一王子神、田井の天神、国常立命などの異説もある。
当地は、平安時代は平家領で、新熊野社の荘園であり、鎌倉時代になると、一條中納言家の荘園となった。
源頼朝は一條中納言能保に嫁している妹に当地を荘園として与え、その地に源義経の側室である静御前を住まわせたとも伝わる。
そのため、当社は静御前ゆかりであり、当社の東方数百メートルに、静御前の墓所があるという。古い宝簾印塔二基が安置されている。
あるいは、静御前はもともと一條中納言家にゆかりがあったとも。なお、静御前に関しては、京都府京丹後市に静神社がある。
また、鎌倉時代、一遍上人(1234年-1289年)が死去する1ヶ月前に当社を参拝したことが、『一遍上人聖絵第十一詞書』にある。志筑七社の首座とされた。
明治6年(1873年)、郷社に列し、大正11年(1922年)には神饌幣帛供進社に指定された。神紋は「丸に抱き粟穂」。
氏子地域は、津名町志筑・中田・王子・池ノ内・大町畑・一宮町遠田・新村・上河合・竹谷の計約2000戸。
例祭はもとは旧暦8月初の申の日、現在は10月1日。5月8日には、もとは旧暦3月二の申の日に行われていた籾蒔祭がある。
毎年4月29日には志筑地区の春祭りが開催され、当社からも布団だんじりが出る。
境内社に、和歌山の加太神社を勧請した粟島神社、京都の北野天満宮を勧請した北野神社(菅原道真公)、参道には巨木の下に志筑別神社がある。
通称の「天神さん」はこの境内社によるものではなく、あくまでも少彦名神を指すものであると考えられる。
なお、式内社「志筑神社」の論社は他に、市内王子の熊野神社がある。また、近くには志筑八幡神社があるが、当社とは別の神社。
【ご利益】
無病息災・病気平癒・技芸上達・婦女子守護
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志筑神社(しづきじんじゃ)は、兵庫県淡路市志筑にある神社。通称は「天神さん」。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「志筑神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
創祀・創建年代は不詳。もとは手間天神や申之宮(申の宮)と称されてた。御祭神は少彦名神。ただし、熊野若一王子神、田井の天神、国常立命などの異説もある。
当地は、平安時代は平家領で、新熊野社の荘園であり、鎌倉時代になると、一條中納言家の荘園となった。
源頼朝は一條中納言能保に嫁している妹に当地を荘園として与え、その地に源義経の側室である静御前を住まわせたとも伝わる。
そのため、当社は静御前ゆかりであり、当社の東方数百メートルに、静御前の墓所があるという。古い宝簾印塔二基が安置されている。
あるいは、静御前はもともと一條中納言家にゆかりがあったとも。なお、静御前に関しては、京都府京丹後市に静神社がある。
また、鎌倉時代、一遍上人(1234年-1289年)が死去する1ヶ月前に当社を参拝したことが、『一遍上人聖絵第十一詞書』にある。志筑七社の首座とされた。
明治6年(1873年)、郷社に列し、大正11年(1922年)には神饌幣帛供進社に指定された。神紋は「丸に抱き粟穂」。
氏子地域は、津名町志筑・中田・王子・池ノ内・大町畑・一宮町遠田・新村・上河合・竹谷の計約2000戸。
例祭はもとは旧暦8月初の申の日、現在は10月1日。5月8日には、もとは旧暦3月二の申の日に行われていた籾蒔祭がある。
毎年4月29日には志筑地区の春祭りが開催され、当社からも布団だんじりが出る。
境内社に、和歌山の加太神社を勧請した粟島神社、京都の北野天満宮を勧請した北野神社(菅原道真公)、参道には巨木の下に志筑別神社がある。
通称の「天神さん」はこの境内社によるものではなく、あくまでも少彦名神を指すものであると考えられる。
なお、式内社「志筑神社」の論社は他に、市内王子の熊野神社がある。また、近くには志筑八幡神社があるが、当社とは別の神社。
【ご利益】
無病息災・病気平癒・技芸上達・婦女子守護
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