福蔵大明神、境内社に若宮神社、石田三成の供養碑の伝えも
[住所]兵庫県洲本市上内膳64
[電話]0799-24-5225
岸河神社(きしかわじんじゃ)は、兵庫県洲本市上内膳にある神社。より正確には「㟁河神社」か。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「岸河神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀・創建年代は不詳。往古は福蔵大明神とも称された。御祭神は、田心姫命・市杵嶋姫命・湍津姫命・の宗像三女神。
しかし、鎮座地が伊勢森とも呼ばれ、内膳村ということから、豊受姫命を御祭神とする説もあるという。
もとは岸御森という地に鎮座していた。いずれかの時期に、洲本川の支流である小川の東側の現在地に遷座した。
式内社「岸河神社」の他の論社に、納の山王神社があるが、その小川の対岸、西側に鎮座している。
明治6年(1873年)、村社に列した。明治26年(1893年)に拝殿を再建し、大正4年(1915年)に幣殿を新築した。
大正8年(1919年)9月27日には神饒幣帛料供進社に指定された。
その後、淡路縦貫道路の建設により内膳字若宮に鎮座の若宮神社(八衢比古神・八衢比売神)が当社境内に遷座、その記念事業として本殿・拝殿を改修、社務所を新築した。
例祭は9月28日。
境内には、石田光成の側室が建てた供養碑があると伝えられている。その側室は納の出身で、光成が死ぬと郷里の納に帰り、菩提をとむらった。
石碑がいくつかあるが、逆臣とされたため、わざと銘を入れなかったので、どれが該当するのかは不明。
なお、この地域には、光成の墓もあると伝えられている。
【ご利益】
厄災除け、交通安全、安産

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・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
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岸河神社(きしかわじんじゃ)は、兵庫県洲本市上内膳にある神社。より正確には「㟁河神社」か。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「岸河神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀・創建年代は不詳。往古は福蔵大明神とも称された。御祭神は、田心姫命・市杵嶋姫命・湍津姫命・の宗像三女神。
しかし、鎮座地が伊勢森とも呼ばれ、内膳村ということから、豊受姫命を御祭神とする説もあるという。
もとは岸御森という地に鎮座していた。いずれかの時期に、洲本川の支流である小川の東側の現在地に遷座した。
式内社「岸河神社」の他の論社に、納の山王神社があるが、その小川の対岸、西側に鎮座している。
明治6年(1873年)、村社に列した。明治26年(1893年)に拝殿を再建し、大正4年(1915年)に幣殿を新築した。
大正8年(1919年)9月27日には神饒幣帛料供進社に指定された。
その後、淡路縦貫道路の建設により内膳字若宮に鎮座の若宮神社(八衢比古神・八衢比売神)が当社境内に遷座、その記念事業として本殿・拝殿を改修、社務所を新築した。
例祭は9月28日。
境内には、石田光成の側室が建てた供養碑があると伝えられている。その側室は納の出身で、光成が死ぬと郷里の納に帰り、菩提をとむらった。
石碑がいくつかあるが、逆臣とされたため、わざと銘を入れなかったので、どれが該当するのかは不明。
なお、この地域には、光成の墓もあると伝えられている。
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