欽明朝の上賀茂神田、中世には四社明神、蜂須賀家の崇敬
[住所]兵庫県淡路市生穂2505
[電話]0799-64-1222

賀茂神社(かもじんじゃ)は、兵庫県淡路市生穂にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「賀茂神社」に比定される式内社(小社)の論社。

第29代欽明天皇の御代、山城上賀茂神社が賀茂神田(荘園)を60余国に置いた際、淡路国佐野生穂庄がその一ヶ所となった。

これを契機に、生穂・佐野地域の氏神として祀られたのが当社の創始だと考えられる。御祭神は賀茂大神で、賀茂別雷神と賀茂建角身神の総称。

『中右記』によれば、平安時代後期の保安元年(1120年)、国司によって当社が被った被害に関する上訴が、上賀茂神社から朝廷に対してなされたとある。

後に、賀茂神(雷神)の他、春日神(智神)、貴船神(水神)、白鬚神(土神)を奉斎、そのことから「四社明神」と呼ばれた。

春日神は四神で、武甕槌神経津主神天児屋根神・比売神、貴船神は二神で、高龗神闇龗神、白鬚神は猿田彦神

特に白鬚神の影響が強かったからか、「しらひげさん」とも呼ばれたという。

当社は乱世の時代に三度社殿を焼失していたが、江戸時代に入って阿波藩主蜂須賀至鎮によって再建された。

しかし、寛永21年(1644年)に再び焼失。その後、中ノ内、野田尾、大谷、長澤、佐野の村長たちが12年間にわたって阿波藩に合力を勧進し続けたという。

それにより、時の藩主から良材提供の援助を得て、再建。その社殿の絵は絵馬殿に掲げられていいる。

幕末の安政4年(1858年)、阿波藩主蜂須賀斎昌が所領巡回の際、当社由縁を調べ、現社号を称するよう命じたという。

後に、蜂須賀茂韶から「賀茂神社」の染筆掛字を賜った。明治になり、郷社に列した。

旧別当寺は栄玄寺で、境内の忠魂碑のあたりあったという。明治10年(1877年)、栄玄寺に生穂小学校が置かれた。

現在の社殿は明治22年(1889年)に建替えられたもの。建替えに際して、生穂佐野地域の老若男女が7日7夜、氏中を踊り回ったと伝わる。

神紋はウマノスズクサ科のフタバアオイを図案化した「双葉葵」。

例祭は4月19日、その直前の日曜日10時からだんじりの宮入が始まり、12時から本殿祭、16時から神輿の御旅所巡幸が始まる。

境内で繰り広げられる6基のだんじりの練りは圧巻。1月にはどんと焼き、6月10には雨乞祭があり、奥の院である雨乞山の山頂で祈願祭が行われる。

「心願成就」「金運ご利益」のお守りとして、「三つ葉乃松守」を授与している。

なお、式内社「賀茂神社」の論社は他に、洲本市上加茂の当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
祈雨・天候、金運、諸願成就(公式HP
賀茂神社 兵庫県淡路市生穂
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