福徳の宮、車の総社、機織りを当地に伝授した女神を祀る式内
[住所]三重県鈴鹿市白子1-15-15
[電話]059-386-1833

久留真神社(くるまじんじゃ)は、三重県鈴鹿市白子にある神社。福徳之宮・車之総社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「久留眞神社(伊勢国・奄芸郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創祀年代は不詳。大已貴尊須世理姫尊の2柱を、通称「伊勢の森」という神奈備に、「福徳さん」として奉斎された。

現在の白子・御殿町一帯にあたる地で、当時は御神木である樹齢1000年以上の福徳の松が、天に聳えていたという。

第21代雄略天皇の御代、呉の国の漢織、呉織、衣縫兄姫、弟姫など来朝し、勅命によって伊勢国の民に紡績や衣縫など文明技術を伝授した。

その功績が実に偉大だったため、永遠にこれを称えようと、漢織姫命を当社に合祀して、福徳の女神と仰ぎ奉った。

時代は違うものの、大阪府池田市の伊居太神社呉服神社にも類似の伝承が伝わる。松原市には田坐神社がある。

第30代敏達天皇の御代、漢織姫命を淡路国へ分祀。現在の伊勢久留麻神社である。ただし、同社の御祭神は現在は当社とは違う。

もとは当地方一帯の地名を栗真荘と呼び、栗真荘で祀る福徳の(機織りの)車の女神、というのが社号の由来になっているという。

中世からは福徳天王社、あるいは福徳神社とも呼ばれるようになった。

江戸時代前期の寛永11年(1634年)、福徳天王社の地は白子代官所となり、当社は現在地に遷座、その跡には白子御殿が建てられた。

この際、福徳神社は二つに分かれたようで、一つは当社となり,もう一つが白子駅近くの勝速日神社となったという。

当社は江戸期に和田の勝手明神との間で、式内訴訟が起こった。江戸時代後期の文政4年(1821年)12月に、「福徳の宮久留真神社」に改称した。

明治39年(1906年)12月、神饌幣帛料供進社に指定され、昭和18年(1943年)4月13日、県社に昇格した。

現在は、機織りの車が転じて、自動車になり、交通安全の神としても信仰されている。

例祭は4月15日近い土曜日で、春祭り。獅子舞の奉納などがある。

境内社に、四柱神社・千倍稲荷神社・石神神社(山の神)・護国神社などがある。

【ご利益】
開運招福、産業振興、事業成功、交通安全
久留真神社 三重県鈴鹿市白子
【関連記事】
三重県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
久留真神社 三重県鈴鹿市白子の御朱印