淡路三の宮とも、緯度34度32分「西の伊勢」、5月にだんじり
[住所]兵庫県淡路市久留麻2033
[電話]0799-74-2258 - 松帆神社
伊勢久留麻神社(いせくるまじんじゃ)は、兵庫県淡路市久留麻にある神社。「久留麻の明神さん」と親しまれる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「伊勢久留麻神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
社伝によれば、第30代敏達天皇の御代に伊勢国奄芸郡の久留真神社を勧請したという。往古「久留麻」は、来馬とも書かれたが、呉織の意味とも考えられている。
平安時代初期の大同元年(806年)、神封二戸とある。
境内案内では、『延喜式神名帳』淡路国の13社のうち、当社は3番目に記載されており、そのため、淡路国三の宮(三宮)を主張する。
ただし、実際には、13社の2番目に記載されている。津名郡の1番目が伊弉諾神宮で一宮、三原郡の1番目が大和大國魂神社で二宮、三宮以下は不詳が通説。
御祭神は、大日孁貴尊。別名は来馬大明神、あるいは伊勢明神。一説には、大己貴命とも、あるいは若比留女尊などの異説がある。
江戸時代前期の元禄5年(1692年)と、幕末の文久3年(1863年)に本殿再興の記録が残る。江戸期には「伊勢宮」とも呼ばれた。
明治3年(1870年)、徳島藩より米5石が寄進され、明治6年(1973年)2月、郷社に列し、明治45年(1912年)7月1日、神饌幣帛供進社に指定された。
NHK「知られざる古代~謎の北緯三十四度三十二分を行く」で、奈良箸墓古墳を中心に東西に対照に「二つの伊勢」があることが紹介された。
その中の、西側が当社に該当する。ちなみに東側は、伊勢の神宮(伊勢神宮)そのものではなく、伊勢斎宮跡。箸墓古墳からそれぞれ70-80キロ離れている。
この緯度34度32分の線上には二上山や三輪山、大鳥大社なども含まれ、淡路では舟木石上神社も通る。いわゆる「太陽の道」。
例祭は5月5日。華麗なだんじりが練り歩き、ギャル神輿も登場し、伝統の中にも華やかさがある祭典になっている。
境内社に、弁天社、愛宕社、猿田彦神社、伊弉諾神社、稲荷神社などがある。大楠公ゆかりの駒止めの松があり、現在は三代目。
【ご利益】
開運招福、事業成功

【関連記事】
・太陽の道とは? - 北緯34度32分のラインに連なる聖地、元伊勢・太陽信仰
・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
[電話]0799-74-2258 - 松帆神社
伊勢久留麻神社(いせくるまじんじゃ)は、兵庫県淡路市久留麻にある神社。「久留麻の明神さん」と親しまれる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「伊勢久留麻神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
社伝によれば、第30代敏達天皇の御代に伊勢国奄芸郡の久留真神社を勧請したという。往古「久留麻」は、来馬とも書かれたが、呉織の意味とも考えられている。
平安時代初期の大同元年(806年)、神封二戸とある。
境内案内では、『延喜式神名帳』淡路国の13社のうち、当社は3番目に記載されており、そのため、淡路国三の宮(三宮)を主張する。
ただし、実際には、13社の2番目に記載されている。津名郡の1番目が伊弉諾神宮で一宮、三原郡の1番目が大和大國魂神社で二宮、三宮以下は不詳が通説。
御祭神は、大日孁貴尊。別名は来馬大明神、あるいは伊勢明神。一説には、大己貴命とも、あるいは若比留女尊などの異説がある。
江戸時代前期の元禄5年(1692年)と、幕末の文久3年(1863年)に本殿再興の記録が残る。江戸期には「伊勢宮」とも呼ばれた。
明治3年(1870年)、徳島藩より米5石が寄進され、明治6年(1973年)2月、郷社に列し、明治45年(1912年)7月1日、神饌幣帛供進社に指定された。
NHK「知られざる古代~謎の北緯三十四度三十二分を行く」で、奈良箸墓古墳を中心に東西に対照に「二つの伊勢」があることが紹介された。
その中の、西側が当社に該当する。ちなみに東側は、伊勢の神宮(伊勢神宮)そのものではなく、伊勢斎宮跡。箸墓古墳からそれぞれ70-80キロ離れている。
この緯度34度32分の線上には二上山や三輪山、大鳥大社なども含まれ、淡路では舟木石上神社も通る。いわゆる「太陽の道」。
例祭は5月5日。華麗なだんじりが練り歩き、ギャル神輿も登場し、伝統の中にも華やかさがある祭典になっている。
境内社に、弁天社、愛宕社、猿田彦神社、伊弉諾神社、稲荷神社などがある。大楠公ゆかりの駒止めの松があり、現在は三代目。
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コメント
コメント一覧 (1)
天下は先年より大疫す。
春3月 まさかの天皇が
天然痘に罹患、発症。
朝野は騒然となり
行疫神は西から飛来するとの
信仰(経験則)から
天皇の幸玉宮(三輪山西麓、磯城)
の真西、そもそも大和の西結界の淡路島の
当地に
外敵や疫病神にたちはだかり、祓い退ける神、結界の守護神。
塞(サイ)の神。
と太古より信仰された
サルタ彦大神(阿多子神(愛宕神))
を鎮座させ、
疫病神の鎮暍と主上の玉体護持、当病平癒を企図したかと。
これは、
そもそも、古事記がねじ曲げ破棄した古代信仰、
出雲の幸の神信仰を理解する事と併せて、
継体天皇の本当の出自である
元出雲王家のご次男。
を知ることで
判る事。
また、三輪山(出雲の幸の神信仰の神々)の祭祀方法、
主たるお山(三輪山)🗻を少し離れた低い丘(山)から臨んで祭祀する
古代大和王国時代の形態~、
愛宕山(にサルタ彦大神)
麓の今は東浦中学校の城原(ジョバラ。イザナギとイザナミをジョンと婆と呼んだ(高砂神社等)のが訛った?)
から祭祀したと考えられます。
因みに、海面は現在より数メートル以上高かった事が知られていますから
今の伊勢久留麻神社の場所は海中か渚だったはず。