平野神社の元宮の一つ、昭和に再勧請、「竈神」として定着
[住所]奈良県北葛城郡王寺町久度4-9-9
[電話]0745-72-3553
久度神社(くどじんじゃ)は、奈良県北葛城郡王寺町久度にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「久度神社(大和国・平群郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
神社のすぐ北西側を大和川が流れ、南側に離れて葛下川が流れる。古来、これらの川の流れが変わったようで、 鎮座地も広瀬郡・葛下郡・平群郡と変遷したともいう。
創祀年代は不詳。奈良時代以前とされる。『続日本紀』に、延暦2年(783年)、従五位下に叙されたとある。
毎年朝廷から幣帛が捧げられ、官祭に預かっていた。御祭神の久度神、あるいは久度大神は、物部氏族である久努、久奴氏の祖神とされる。
平安遷都により、京都に勧請され、現在の平野神社の御祭神の1柱になった。
その後、氏の祖神としての久度神は失われていき、「くど」は「窖」の意味で、厨神の総称であり、「竈神」が定着したと思われる。
現在までに、八幡大神・住吉大神・春日大神も併せて祀る。明治期には主祭神が八幡、住吉と春日が左右に配されたという。明治6年(1873年)、村社に列した。
昭和17年(1942年)、橿原神宮の古殿によって、拝殿・瑞垣・中門などが造営された。
昭和43年(1968年)、平野神社から久度神を勧請し直し、翌昭和44年(1969年)には本殿が造営された。
例祭は10月25日。現在はその近い土・日曜日。だんじりや子供だんじりなどで多くの人で賑わう。
絹本彩色の春日曼荼羅一福を蔵し、収納箱に「春日講本尊箱 和州廣瀬郡久度郷堀内 文明8年(丙申)8月日 講衆」の墨書がある。文明8年は室町時代の1476年。
また、拝殿前に「奉施入 大和□□厂广元季12月日」という南北朝時代初期の暦応元年(1338年)の磨滅した石灯籠が残る。
なお、淡路国にも同名の式内社がある。ここも現在は関係ない御祭神ではあるが、やはり久度神=久努氏なのではないかとされることがある。
【ご利益】
交通安全、火防、料理上達、健康長寿

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・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
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久度神社(くどじんじゃ)は、奈良県北葛城郡王寺町久度にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「久度神社(大和国・平群郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
神社のすぐ北西側を大和川が流れ、南側に離れて葛下川が流れる。古来、これらの川の流れが変わったようで、 鎮座地も広瀬郡・葛下郡・平群郡と変遷したともいう。
創祀年代は不詳。奈良時代以前とされる。『続日本紀』に、延暦2年(783年)、従五位下に叙されたとある。
毎年朝廷から幣帛が捧げられ、官祭に預かっていた。御祭神の久度神、あるいは久度大神は、物部氏族である久努、久奴氏の祖神とされる。
平安遷都により、京都に勧請され、現在の平野神社の御祭神の1柱になった。
その後、氏の祖神としての久度神は失われていき、「くど」は「窖」の意味で、厨神の総称であり、「竈神」が定着したと思われる。
現在までに、八幡大神・住吉大神・春日大神も併せて祀る。明治期には主祭神が八幡、住吉と春日が左右に配されたという。明治6年(1873年)、村社に列した。
昭和17年(1942年)、橿原神宮の古殿によって、拝殿・瑞垣・中門などが造営された。
昭和43年(1968年)、平野神社から久度神を勧請し直し、翌昭和44年(1969年)には本殿が造営された。
例祭は10月25日。現在はその近い土・日曜日。だんじりや子供だんじりなどで多くの人で賑わう。
絹本彩色の春日曼荼羅一福を蔵し、収納箱に「春日講本尊箱 和州廣瀬郡久度郷堀内 文明8年(丙申)8月日 講衆」の墨書がある。文明8年は室町時代の1476年。
また、拝殿前に「奉施入 大和□□厂广元季12月日」という南北朝時代初期の暦応元年(1338年)の磨滅した石灯籠が残る。
なお、淡路国にも同名の式内社がある。ここも現在は関係ない御祭神ではあるが、やはり久度神=久努氏なのではないかとされることがある。
【ご利益】
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