奈良期からの神職、道真が地名に感銘して参拝、春祭りとイブキ
[住所]兵庫県洲本市五色町南谷562
[電話]0799-32-0683
河上神社(かわかみじんじゃ)は、兵庫県洲本市五色町南谷にある神社。鮎原河上神社とも、河上神社天満宮とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「河上神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
『味地草』によると、平安時代の延長年間(923年-931年)の鎮座とされるが、後述の菅原道真の参拝の由緒から考えると、創祀はさらに遡る。
一般的に、創祀年代は不詳とされる。ただし、奈良時代、称徳天皇の天平神護元年(765年)、佐伯宿禰が淡路守に任じられ、淡路に移居し、後に鮎原の里に移り、明治初年まで連綿と神職を司ったともされる。
御祭神は河上大神で、高龗神のことだという。
道真が延喜元年(901年)、左遷の際、当地に立ち寄り、当時の当地名だった「都志」に感銘、都への復帰を願う自身の心と適うと考え、当社に参拝したという。
現在、相殿には天満宮を祀る。山城国北野社を勧請。主祭神は菅原大神で、御子の中将殿(高槻朝臣)と、妻の吉祥女を配祀する。
そのため、当社自体、長らく天神・天満宮と称され、現在も河上神社天満宮と呼ばれることも多い。
江戸時代には、領主蜂須賀氏の崇敬を受け、蜂須賀家の住居方向に当っていたことから、本殿はもと巳午の方角(南南東)を向いていたという。
しかし万治元年(1658年)、午未方向(南南西)に変更されたという。元禄11年(1698年)と、江戸時代後期の文化13年(1816年)に造営の記録が残る。
明治3年(1870年)12月、社領5石が没収されたが、明治6年(1873年)には郷社に列した。
明治26年(1893年)12月9日に現社号に改称、明治27年(1894年)6月4日、県社に昇格した。
式内社としての由緒はあまり伝わらないため、当社は斗ノ内の河上神社を勧請したという説もある。斗ノ内のものの他に、論社としては、木曽上畑の川上神社がある。
例祭は4月25日。いわゆる春祭りで、現在はゴールデンウィーク、4月29日にだんじりの宮入りが行われる。10台の布団だんじりとそのだんじり唄が見どころ。
境内社に、戸隠社、下諏訪社、上諏訪社、熊野十二社、玉生社などがある。
境内には、樹高16.5メートル、胸高周3.34メートル、根廻り3.35メートルのイブキの巨木がある。推定樹齢500年。
このイブキに関しても、道真が植樹した、あるいは道真が置き忘れた杖が芽をふき、成長したなどの伝説が残っている。
江戸時代中期の享保2年(1717年)、拝殿改修の際、このイブキが拝殿に倒れかかった。「明日切り除かん」と翌朝見に行くと、1メートルほど立ち直っていたという。
それを物語るように、現在も拝殿によりかかるような方向を示しているのが特徴。
【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、学業・受験合格、病気平癒

【関連記事】
・兵庫県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
[電話]0799-32-0683
河上神社(かわかみじんじゃ)は、兵庫県洲本市五色町南谷にある神社。鮎原河上神社とも、河上神社天満宮とも。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 淡路国 津名郡「河上神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。
『味地草』によると、平安時代の延長年間(923年-931年)の鎮座とされるが、後述の菅原道真の参拝の由緒から考えると、創祀はさらに遡る。
一般的に、創祀年代は不詳とされる。ただし、奈良時代、称徳天皇の天平神護元年(765年)、佐伯宿禰が淡路守に任じられ、淡路に移居し、後に鮎原の里に移り、明治初年まで連綿と神職を司ったともされる。
御祭神は河上大神で、高龗神のことだという。
道真が延喜元年(901年)、左遷の際、当地に立ち寄り、当時の当地名だった「都志」に感銘、都への復帰を願う自身の心と適うと考え、当社に参拝したという。
現在、相殿には天満宮を祀る。山城国北野社を勧請。主祭神は菅原大神で、御子の中将殿(高槻朝臣)と、妻の吉祥女を配祀する。
そのため、当社自体、長らく天神・天満宮と称され、現在も河上神社天満宮と呼ばれることも多い。
江戸時代には、領主蜂須賀氏の崇敬を受け、蜂須賀家の住居方向に当っていたことから、本殿はもと巳午の方角(南南東)を向いていたという。
しかし万治元年(1658年)、午未方向(南南西)に変更されたという。元禄11年(1698年)と、江戸時代後期の文化13年(1816年)に造営の記録が残る。
明治3年(1870年)12月、社領5石が没収されたが、明治6年(1873年)には郷社に列した。
明治26年(1893年)12月9日に現社号に改称、明治27年(1894年)6月4日、県社に昇格した。
式内社としての由緒はあまり伝わらないため、当社は斗ノ内の河上神社を勧請したという説もある。斗ノ内のものの他に、論社としては、木曽上畑の川上神社がある。
例祭は4月25日。いわゆる春祭りで、現在はゴールデンウィーク、4月29日にだんじりの宮入りが行われる。10台の布団だんじりとそのだんじり唄が見どころ。
境内社に、戸隠社、下諏訪社、上諏訪社、熊野十二社、玉生社などがある。
境内には、樹高16.5メートル、胸高周3.34メートル、根廻り3.35メートルのイブキの巨木がある。推定樹齢500年。
このイブキに関しても、道真が植樹した、あるいは道真が置き忘れた杖が芽をふき、成長したなどの伝説が残っている。
江戸時代中期の享保2年(1717年)、拝殿改修の際、このイブキが拝殿に倒れかかった。「明日切り除かん」と翌朝見に行くと、1メートルほど立ち直っていたという。
それを物語るように、現在も拝殿によりかかるような方向を示しているのが特徴。
【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、学業・受験合格、病気平癒

【関連記事】
・兵庫県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
・兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
コメント