石峰山の山頂付近に巨大な磐座、里宮に旧薬師堂の葉山神社
[住所]宮城県石巻市雄勝町大浜字石峰大久保山1
[電話]0225-58-3355

石神社(いそのじんじゃ)は、宮城県石巻市雄勝町にある神社。石峰山石神社(いしみねやまいそのじんじゃ)とも。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「石神社(陸奥国・桃生郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

南三陸特有のリアス式海岸線、追波湾と雄勝湾の間に突き出た半島中央部にそびえる、標高352メートルの石峰山の山頂付近に、大岩を祀る。

大岩は、高さ7メートル、幅3メートル、烏帽子形。山頂は、樹齢600年の大スギなどで鬱蒼としている。

石峰山南麓、大浜地区には葉山神社があり、当社の里宮になっている。山頂へは、その葉山神社の横にある登山道から向かう。

社伝によると、神功皇后の御代の創祀だという。古くから石上社・石上神社などと称され、また石峰権現、石峰大神とも呼ばれた。

御祭神は、交通の安全を守る海の女神である宗像三女神湍津姫命で、海上交通の発展により金華山とともに南三陸の漁場を守護してきた。

里宮の葉山神社は、もとは当社の別当寺だった薬師堂で、鎌倉時代末期の開基と伝えられている。

明治に至るまで、市明院(一明院)として羽黒派修験者により祭祀が行われていた。そのため、国の重要無形民俗文化財に指定されている「雄勝法印神楽」とも馴染み深い。

御本尊の薬師如来像は運慶の作とも。また、随神十二神将は室町時代の作だという。薬師如来から、現在の御祭神は少名彦名神

本殿には、江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)の板書誓文や、元禄12年(1699年)と、江戸時代中期の宝暦年間(1751年1763年)の絵馬がある。

代々の陸奥仙台藩主の伊達家が参詣し、境内には2代藩主伊達忠宗の手植と伝える「ひいらぎ」の古木 二株があった。

一株は昭和55年(1980年)12月の暴風雨の際、石峰山頂の古木2本とともに倒れたという。

平成23年(2011年)の東日本大震災では、津波により葉山神社が破壊された。平成25年(2013年)に再建された。

当社の例祭は旧暦4月8日が春季例祭で、9月26日が秋季例祭。春季例祭は葉山神社の例祭日でもある。

春・秋の例祭において、神職や氏子をはじめ有志により山頂まで登山し、御神体の磐座において、古式のままの祭祀が行われている。

葉山神社の境内には稲荷神社・祖王神社・山祇神社・作楽神社・興玉神社・疫王神社が祀られている。

葉山神社境内の横に、王子御墓所という墳墓がある。現在の大浜の地名は、往古「王の住んだ所の意」が地名の由来。

奈良時代の神亀年間(724年-729年)、天竺釈旦国から千葉大王の皇子が空船に乗って、牡鹿郡の浜に流れ着いた。

そこで、当地は宮郷(みやこ)と呼ばれ、王浦ともいった。つまり現在の尾浦である。皇子は晩年、桃生郡王浜の台に移り住み、網漁の漁法を伝え、祖神として崇められた。

なお、式内社「石神社」の論社は他に、東松島市の浜市東浮足の石上神社、矢本の鹿石神社、石巻市の桃生町倉埣の八雲神社、龍口山の龍口神社(合祀、境内社、旧地)、気仙沼市の岩倉神社がある。

【ご利益】
交通・海上・建築・家内安全、安産、病気平癒(公式HP
石神社 宮城県石巻市雄勝町
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