江戸前期の創祀、明治に式内論社で巨岩の「石神社」を合祀
龍口神社 宮城県石巻市龍口山11
[住所]宮城県石巻市龍口山11
[電話]0225-73-4104

龍口神社(たつのくちじんじゃ、龍ノ口神社)は、宮城県石巻市龍口山にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

社伝によれば、江戸時代前期の正保2年(1645年)9月29日、龍口山に柴刈りに来た七右衛門に夢のお告げがあり、龍神を祀ったという。

その際、龍神は、守神となり寿福を授け、疫病を除き、安産を第一に守護する旨、告げた。七右衡門は妻とともに「赤飯・神酒」を供え、祭事を催したという。

元禄年間(1688年-1704年)から8月29日に秋祭りを行うも、霊験あらたかで、近郷より崇拝者の参詣が多く、享保9年(1724年)3月29日からは春秋二度の祭典となった。

明和7年(1770年)6月のある早朝、龍石寺住僧である宥厳和尚と村人が当社に籠り、雨乞いしところ3日目に大雨となり、田畑を潤し、五穀豊穣となった。

明和6年(1769年)2月には大鳥居が、天明2年(1782年)には御坂石壇が、寛政4年(1792年)春には一の鳥居が、それぞれ建立された。

明治に入り、村社に列した。また『式内社調査報告』によれば、前谷地字天王山の石神社を、明治41年(1908年)12月に合祀した。

この石神社は、『延喜式神名帳』にある「石神社(陸奥国・桃生郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

ただし、旧地の字天王山には、今も社名となったであろう巨石と、小祠が置かれて祀られており、また、当社境内社としても、石神社がある。

字天王山の石神社、というか、御神体の巨石は、別名奥州の達磨石(女石)ともいわれ、御祭神は豊岩窓尊(櫛石窓神)とも、手力男命と同神ともいわれる。

『新撰陸奥風土記』に、「石神の石」とあり、高さ1丈2尺(約3.6メートル)、周囲3丈5尺(約10メートル)あまり。

その形は人が座っているよう、と表現され、地元の人の伝承として、式内社として伝えられていたという。今も、石神下などの地名が残る。

なお、式内社「石神社」の論社は他に、東松島市の浜市東浮足の石上神社、矢本の鹿石神社、石巻市の桃生町倉埣の八雲神社、雄勝町の石峰山石神社、気仙沼市の岩倉神社がある。
石神社 宮城県石巻市天王山
ともかく、当社の境内社は石神社の他に、八雲神社・愛宕神社などがある。

現在までに主祭神を豊玉彦命とし、火産霊命磐長姫命須佐之男命誉田別命を配祀、宇迦之御魂神を合祀する。

大正8年(1919年)6月に拝殿が建設されたが、老朽化したために、平成2年(1990年)、即位記念として、支倉常次が社殿全般を寄進した。

支倉常次は当地の出身で、東京で事業に成功したという。この時、奥の宮(奥之宮)、末社2社、社務所、倉庫、便所2棟、鳥居、手洗舎などが整備された。

例祭は、春が4月29日、秋が9月29日。江戸時代中期の寛政年間(1789年-1801年)より、春には龍子女による花御膳、秋には流鏑馬の神事が今も継承されている。

【ご利益】
病魔退散、祈雨・天候、安産、家内安全
龍口神社 宮城県石巻市龍口山
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