奈良朝創建、空海ゆかりの医薬神社を合祀、10月神輿宮入り
[住所]福島県伊達郡国見町藤田北38
[電話]024-585-2203

鹿島神社(かしまじんじゃ)は、福島県伊達郡国見町藤田北にある神社。御祭神は、武甕槌命。医薬神社(大名持命少彦名命)を合祀している。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「鹿島神社/鹿嶋神社(陸奥国・信夫郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社伝によると、奈良時代、按察使兼鎮守将軍である大野朝臣東人が、蝦夷平定の際、常陸国より守護神として鹿島大明神を勧請したのが創祀だという。

もとは、現在地の東300メートルほどの古鹿島に鎮座していたが、戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)に社殿が焼失。

江戸時代初期の慶長年間(1596年-1615年)に社殿が再建され、江戸時代中期の享保年間(1716年-1736年)に現在地に遷座したという。

相殿の医薬神社は、平安時代前期の天長年間(824年-834年)、弘法大師空海が巡礼の際、当地の眼病被害を救うため、霊石に薬師如来を刻んで、現在地に祀ったもの。

この如来に祈願すると、夜が明けるが如く眼病が平癒するため、「明けの薬師」と呼ばれた。

その後、兵火にかかって焼失し、荒廃。薬師像のみが雨露にさらされていたため、「裸薬師」とも呼ばれた。

明治になって医薬神社と改称し、当社に合祀された。医薬神社の例祭は8月7日。

当社の現在の社殿は、明治14年(1881年)12月に改築、その後、本殿・幣殿は明治維新100年を記念し、昭和45年(1970年)10月に改築された。

社殿には、有晒川織仁親王御染筆の奉額「鹿島神社」「医薬神社」が掲げられている。原本は二巻の掛物として保存されている。

他に江戸時代初期の作とされる、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、十二将神木像が安置されている。

境内には近世における南画の大家として知られた熊坂適山(1796年-1864年)の画碑が建っている。

当社の例祭は10月19日。翌20日には神幸祭がある。神輿の宮入には、付近の道路いっぱいに山車が勢揃い。山車と神輿の揉み合う姿は壮観で、露天商も多数出店する。

境内社に、竹駒稲荷神社・八幡神社などがある。

なお、式内社「鹿島神社」の論社は他に、いずれも福島市内の、鳥谷野小田岡島の当社および式内同名神社がある。

【ご利益】
武運長久・勝運、事業成功、病気平癒
鹿島神社 福島県伊達郡国見町藤田
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