小倉の地に勧請、伊達家の崇敬、家臣の牧野家が現社家の祖
[住所]福島県福島市小田字鹿島山29
[電話]024-545-0327
鹿島神社(かしまじんじゃ)は、福島県福島市小田鹿島山にある神社。小倉鹿島神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「鹿島神社/鹿嶋神社(陸奥国・信夫郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。その昔、篠生(信夫)の郷がまだ湖沼だった時、わずかに頭を出していた鹿島山丘上に、蝦夷地経営のため、常陸国鹿島大明神を勤請したという。
御祭神は武甕槌命。奈良時代末期の延暦元年(782年)、凶賊征伐が祈願され、神験があったため、勲五等及び本国の封に戸を授かった。
これは、『続日本紀』にある「延暦元年五月壬寅。陸奥国言。祈祷鹿嶋神。討撥凶賊。神験非虚。望賽位封。勅奉授勲五等封二戸」のこと。
その後、鎌倉時代初期、後鳥羽天皇の建久7年(1196年)に暴風雨のため、本殿が大破、再建された。
南北朝時代には、後醍醐天皇の皇子である義良親王が霊山入りに際し、当社に参詣し、「延喜式鹿嶋神社」の石碑を建立、奉納した。
戦国時代になると、伊達家の崇敬が篤く、安土桃山時代の天正7年(1579年)、太刀一口が奉献された。
古代の小倉郷の小さな丘上にあって、伊達家の家臣の牧野家の住居する小倉館があり、当社は別名「小倉鹿島神社」とも呼ばれた。
また、この牧野家が現在の社家である丹治氏の祖となっている。
江戸時代中期の天明3年(1783年)、光格天皇より、御筆の額「鹿嶋神社」が下賜された。また、後期の文化4年(1807年)には拝殿を改築した。
文政7年(1824年)、京都吉田家より御鏡・御幣が奉納され、同年に現在の本殿が再建された。
その後、明治初年(1868年)には雨覆が設けられ、昭和40年(1965年)、屋根替・改修工事を行った。
鎮座1100年を記念し、平成13年(2001年)9月には拝殿・幣殿を改築した。西暦でおよそ900年頃の鎮座となるが、詳細は不詳。
例祭は10月第3日曜日で、秋季例大祭。1月14日にはどんと焼き特別祈願祭が行われる。
境内には、霊石の要石があり、古くはこの石の位置に社殿があったと伝えられている。地震に関する由緒はなく、この石に触れると安産になるとされている。
御神木は、樹齢400年以上のケヤキ。県の「緑の文化財」に指定されている。
境内社に、参道左脇に、多満留福稲荷(たまるふくいなり)の小祠がある。貯まる福稲荷として、信仰されている。
また、幕領大森代官の山中太郎右衛門が、天明の大飢饉に農民の救済に当たり、天明7年(1789年)に建立された山中太郎右衛門頌徳生祠がある。
塔身だけが残った石造の宝塔がある。中央に鎌倉時代特有の薬研彫りが施されている。
なお、鹿島神といえば神使は通常、鹿であるが、当社の場合は白蛇。社殿に像が安置され、撫でるとご利益があるという。
かつては社前を流れていた濁川(大門川)に架かる石橋を称えた石碑「小倉橋の碑」がある。「小倉」の地名を後世に残そうと、下記の歌が彫られている。
江戸期は当社と鳥谷野の間で、激しい式内論争があったと伝わる。他の論社に、市内岡島と、伊達郡国見町に当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、事業成功、金運・家運向上(公式HP)
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鹿島神社(かしまじんじゃ)は、福島県福島市小田鹿島山にある神社。小倉鹿島神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「鹿島神社/鹿嶋神社(陸奥国・信夫郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。
創祀年代は不詳。その昔、篠生(信夫)の郷がまだ湖沼だった時、わずかに頭を出していた鹿島山丘上に、蝦夷地経営のため、常陸国鹿島大明神を勤請したという。
御祭神は武甕槌命。奈良時代末期の延暦元年(782年)、凶賊征伐が祈願され、神験があったため、勲五等及び本国の封に戸を授かった。
これは、『続日本紀』にある「延暦元年五月壬寅。陸奥国言。祈祷鹿嶋神。討撥凶賊。神験非虚。望賽位封。勅奉授勲五等封二戸」のこと。
その後、鎌倉時代初期、後鳥羽天皇の建久7年(1196年)に暴風雨のため、本殿が大破、再建された。
南北朝時代には、後醍醐天皇の皇子である義良親王が霊山入りに際し、当社に参詣し、「延喜式鹿嶋神社」の石碑を建立、奉納した。
戦国時代になると、伊達家の崇敬が篤く、安土桃山時代の天正7年(1579年)、太刀一口が奉献された。
古代の小倉郷の小さな丘上にあって、伊達家の家臣の牧野家の住居する小倉館があり、当社は別名「小倉鹿島神社」とも呼ばれた。
また、この牧野家が現在の社家である丹治氏の祖となっている。
江戸時代中期の天明3年(1783年)、光格天皇より、御筆の額「鹿嶋神社」が下賜された。また、後期の文化4年(1807年)には拝殿を改築した。
文政7年(1824年)、京都吉田家より御鏡・御幣が奉納され、同年に現在の本殿が再建された。
その後、明治初年(1868年)には雨覆が設けられ、昭和40年(1965年)、屋根替・改修工事を行った。
鎮座1100年を記念し、平成13年(2001年)9月には拝殿・幣殿を改築した。西暦でおよそ900年頃の鎮座となるが、詳細は不詳。
例祭は10月第3日曜日で、秋季例大祭。1月14日にはどんと焼き特別祈願祭が行われる。
境内には、霊石の要石があり、古くはこの石の位置に社殿があったと伝えられている。地震に関する由緒はなく、この石に触れると安産になるとされている。
御神木は、樹齢400年以上のケヤキ。県の「緑の文化財」に指定されている。
境内社に、参道左脇に、多満留福稲荷(たまるふくいなり)の小祠がある。貯まる福稲荷として、信仰されている。
また、幕領大森代官の山中太郎右衛門が、天明の大飢饉に農民の救済に当たり、天明7年(1789年)に建立された山中太郎右衛門頌徳生祠がある。
塔身だけが残った石造の宝塔がある。中央に鎌倉時代特有の薬研彫りが施されている。
なお、鹿島神といえば神使は通常、鹿であるが、当社の場合は白蛇。社殿に像が安置され、撫でるとご利益があるという。
かつては社前を流れていた濁川(大門川)に架かる石橋を称えた石碑「小倉橋の碑」がある。「小倉」の地名を後世に残そうと、下記の歌が彫られている。
よろづ世に かけてくちせじ 里の名の 小ぐらのはしの 名さへ橋さへ兼務神社に、市内鳥谷野の鹿島神社などがある。鳥谷野の鹿島神社は、当社同様、式内社「鹿島神社」の論社。
江戸期は当社と鳥谷野の間で、激しい式内論争があったと伝わる。他の論社に、市内岡島と、伊達郡国見町に当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、事業成功、金運・家運向上(公式HP)
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