『万葉集』などにも歌われた鳥谷野、正一位の式内論社
[住所]福島県福島市鳥谷野宮畑8,9,10
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鹿島神社(かしまじんじゃ)は、福島県福島市鳥谷野宮畑にある神社。鳥谷野鹿島神社とも。現在は小田の同名神社の兼務神社である。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「鹿島神社/鹿嶋神社(陸奥国・信夫郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、奈良時代末期の延暦元年(782年)、常陸国鹿島大明神を勧請したという。御祭神は武甕槌命。
『続日本紀』に、「延暦元年五月壬寅。陸奥国言。祈祷鹿嶋神。討撥凶賊。神験非虚。望賽位封。勅奉授勲五等封二戸」とある、これが当社だという。
鎮座地の鳥谷野は下記のように詠われている。古来より、有名な土地柄。
享保8年(1722年)には3代藩主板倉勝里が社殿を改築した。天明元年の火災の後、翌天明2年(1782年)、当地の羽田喜三郎が拝殿を建立したという。
『信達一統志』によれば、寛政年間(1789年-1801年)に「正一位」とある。神社明細帳では、光格天皇の御宇、天明2年(1782年)に叙されたとされる。
建替えの棟札の中に福島城主板倉甲斐守重房の武運長久のための祈願棟札が見つかっている。板倉重房は不詳だが、陸奥国福島藩主の板倉家の中で、甲斐守は下記の3人がいる。
・初代板倉重寛(在位:1702年-1717年)
・9代板倉勝俊(在位:1815年-1834年)
・11代板倉勝己(在位:1866年-1868年)
いつの時代の棟札かわからないが、享保8年のものであれば、初代板倉重寛の可能性が高い。ともかく、藩主家から厚い崇敬を受けた。
明治4年(1871年)10月10日、郷社に列し、明治8年(1875年)9月27日には一旦村社となるが、明治29年(1896年)12月には再び郷社に列した。
昭和28年(1953年)、老朽化のため、社殿が大改築されたが、昭和50年(1975年)、火災により焼失。
昭和51年(1976年)10月、鉄筋コンクリート造として再建された。往時は鬱蒼とした社叢を形成していたとされるが、現在は参道と社殿周辺に数株残すのみ。
例祭はもとは10月9日。現在は10月第1日曜日に行われる。
当社の神輿は、当初、天明2年(1782年)、正一位を奉授の際に京都で購入された。文化13年(1815年)、破損のため、再び京都で購入された。
以後、例祭には神輿渡御を行い、昭和38年(1963年)には大修繕が施され、現在も若者が担ぎ、氏子全域を巡っている。
境内社に、養蚕神社(保食命)・疱瘡神社(月夜見命)・菅原神社(菅原道真公)・稲荷神社(稲倉魂命)・大瀧神社(不動明王)・白山神社(白山比咩命)・道光内稲荷(鍋冠の狐)がある。
境外社として、水汲田地内の八幡神社(誉田別命)がある。
なお、式内社「鹿島神社」の論社は他に、当社の本務神社である小田の鹿島神社がある。江戸期には当社との間で激しい式内論争があったという。
他の論社に、市内岡島と、伊達郡国見町に当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、事業成功

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鹿島神社(かしまじんじゃ)は、福島県福島市鳥谷野宮畑にある神社。鳥谷野鹿島神社とも。現在は小田の同名神社の兼務神社である。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「鹿島神社/鹿嶋神社(陸奥国・信夫郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。
社伝によれば、奈良時代末期の延暦元年(782年)、常陸国鹿島大明神を勧請したという。御祭神は武甕槌命。
『続日本紀』に、「延暦元年五月壬寅。陸奥国言。祈祷鹿嶋神。討撥凶賊。神験非虚。望賽位封。勅奉授勲五等封二戸」とある、これが当社だという。
鎮座地の鳥谷野は下記のように詠われている。古来より、有名な土地柄。
『万葉集』巻14 3529
等夜乃野に 兎狙はり をさをさも 寝なへ児ゆゑに 母に嘖はえ
※等夜(とや)の野について、下総国印幡郡の鳥矢郷ともされる。
『続古今和歌集』中務卿親王江戸時代初期の寛永年間(1624年-1645年)、中期の天明元年(1781年)、後期の天保8年(1838年)に火災に遭い、古記録が焼失した。
みちのくの 信夫の鷹の 鳥屋ごもり 狩にも知らじ 思ふ心を
享保8年(1722年)には3代藩主板倉勝里が社殿を改築した。天明元年の火災の後、翌天明2年(1782年)、当地の羽田喜三郎が拝殿を建立したという。
『信達一統志』によれば、寛政年間(1789年-1801年)に「正一位」とある。神社明細帳では、光格天皇の御宇、天明2年(1782年)に叙されたとされる。
建替えの棟札の中に福島城主板倉甲斐守重房の武運長久のための祈願棟札が見つかっている。板倉重房は不詳だが、陸奥国福島藩主の板倉家の中で、甲斐守は下記の3人がいる。
・初代板倉重寛(在位:1702年-1717年)
・9代板倉勝俊(在位:1815年-1834年)
・11代板倉勝己(在位:1866年-1868年)
いつの時代の棟札かわからないが、享保8年のものであれば、初代板倉重寛の可能性が高い。ともかく、藩主家から厚い崇敬を受けた。
明治4年(1871年)10月10日、郷社に列し、明治8年(1875年)9月27日には一旦村社となるが、明治29年(1896年)12月には再び郷社に列した。
昭和28年(1953年)、老朽化のため、社殿が大改築されたが、昭和50年(1975年)、火災により焼失。
昭和51年(1976年)10月、鉄筋コンクリート造として再建された。往時は鬱蒼とした社叢を形成していたとされるが、現在は参道と社殿周辺に数株残すのみ。
例祭はもとは10月9日。現在は10月第1日曜日に行われる。
当社の神輿は、当初、天明2年(1782年)、正一位を奉授の際に京都で購入された。文化13年(1815年)、破損のため、再び京都で購入された。
以後、例祭には神輿渡御を行い、昭和38年(1963年)には大修繕が施され、現在も若者が担ぎ、氏子全域を巡っている。
境内社に、養蚕神社(保食命)・疱瘡神社(月夜見命)・菅原神社(菅原道真公)・稲荷神社(稲倉魂命)・大瀧神社(不動明王)・白山神社(白山比咩命)・道光内稲荷(鍋冠の狐)がある。
境外社として、水汲田地内の八幡神社(誉田別命)がある。
なお、式内社「鹿島神社」の論社は他に、当社の本務神社である小田の鹿島神社がある。江戸期には当社との間で激しい式内論争があったという。
他の論社に、市内岡島と、伊達郡国見町に当社および式内同名神社がある。
【ご利益】
武運長久・勝運、事業成功

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