氷上山頂に三座を祀る、太陽信仰、火防の神、「氷上山大騒擾」
[住所]岩手県陸前高田市高田町西和野83
[電話]0192-55-5053
冰上神社(ひかみじんじゃ、氷上神社)は、岩手県陸前高田市高田町西和野にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』陸奥国気仙郡にある「衣太手神社」「登奈孝志神社」に比定される式内社で、「理訓許段神社」の論社(いずれも小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。氷上山の山頂に、西宮として理訓許段神社、中宮として登奈孝志神社、東宮として衣太手神社の三社が鎮座しており、当社はそれらの里宮。
もとは山麓に三社がそれぞれ鎮座していたというが、中世、修験道の山岳信仰により、山頂に集められたという。
『日本文徳実録』によれば、登奈孝志神が正五位下、衣太手神と理訓許段神が従五位下に叙されている。アイヌ語でこの三神を下記のように解釈する説がある。
・登奈孝志神(となこしのかみ)は「沼を越えた彼方の神」
・理訓許段神(りくこたのかみ)は「高台や丘の村の神」
・衣太手神(いたてのかみ)は「森の中に鎮座し坐す神」
アイヌの神かどうかはともかく、どちらにしろもとは地主神だと思われるが、現在は、稲田姫命・天照大神・素盞嗚神(速進男神)の3柱をそれぞれ対照させている。
社名や山名は、冰上、氷上とも書く場合がある。『氷上神社由緒』によれば、山名はもとは御山と呼ばれ、具体的な名前では称されなかった。
気仙郡に官を置く際、はじめて気仙山と名付けられ、後に氷上山に改められた。この名称の由来には諸説ある。
一つは、音の「ひ」に基づくもの。日神として、太陽信仰からともされる。もう一つは、やはり「ひ」で、また「氷」の意から。
往古、山頂には野火が多かったが、三社付近で自然に消滅する現象が相次いだ。火防としての、「火」の神、また火を消す氷=水となった。
江戸時代中期の寛延3年(1750年)、会津宗英寺の住職が、山上に金剛仏三体を奉納しようとした。
しかし、八合目付近で急に山が荒れだし、慌てて下山した。その後7日間、山麓は晴天なのに、山だけ大嵐となり、これが「氷上山大騒擾」と呼ばれた。
山へは一度も仏像を上げたことがなかったとして、奉納しようとしていた仏像は取り上げられ、平常に戻ったという。
参道の御假殿は、昭和48年(1973年)、山頂に神殿を新築した際、江戸時代後期の文化5年(1808年)の旧神殿を移したもの。
例祭は5月11日。境内社として、拝殿の左右に、御祭神の稲田姫命の両親である足名椎神・手名椎神を祀る。他に、松尾神社などがある。
当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。なお、式内社「理訓許段神社」の論社は他に、大船渡市赤崎の尾崎神社がある。
【ご利益】
開運招福、火防、夫婦和合、良縁、子宝
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[電話]0192-55-5053
冰上神社(ひかみじんじゃ、氷上神社)は、岩手県陸前高田市高田町西和野にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』陸奥国気仙郡にある「衣太手神社」「登奈孝志神社」に比定される式内社で、「理訓許段神社」の論社(いずれも小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。氷上山の山頂に、西宮として理訓許段神社、中宮として登奈孝志神社、東宮として衣太手神社の三社が鎮座しており、当社はそれらの里宮。
もとは山麓に三社がそれぞれ鎮座していたというが、中世、修験道の山岳信仰により、山頂に集められたという。
『日本文徳実録』によれば、登奈孝志神が正五位下、衣太手神と理訓許段神が従五位下に叙されている。アイヌ語でこの三神を下記のように解釈する説がある。
・登奈孝志神(となこしのかみ)は「沼を越えた彼方の神」
・理訓許段神(りくこたのかみ)は「高台や丘の村の神」
・衣太手神(いたてのかみ)は「森の中に鎮座し坐す神」
アイヌの神かどうかはともかく、どちらにしろもとは地主神だと思われるが、現在は、稲田姫命・天照大神・素盞嗚神(速進男神)の3柱をそれぞれ対照させている。
社名や山名は、冰上、氷上とも書く場合がある。『氷上神社由緒』によれば、山名はもとは御山と呼ばれ、具体的な名前では称されなかった。
気仙郡に官を置く際、はじめて気仙山と名付けられ、後に氷上山に改められた。この名称の由来には諸説ある。
一つは、音の「ひ」に基づくもの。日神として、太陽信仰からともされる。もう一つは、やはり「ひ」で、また「氷」の意から。
往古、山頂には野火が多かったが、三社付近で自然に消滅する現象が相次いだ。火防としての、「火」の神、また火を消す氷=水となった。
江戸時代中期の寛延3年(1750年)、会津宗英寺の住職が、山上に金剛仏三体を奉納しようとした。
しかし、八合目付近で急に山が荒れだし、慌てて下山した。その後7日間、山麓は晴天なのに、山だけ大嵐となり、これが「氷上山大騒擾」と呼ばれた。
山へは一度も仏像を上げたことがなかったとして、奉納しようとしていた仏像は取り上げられ、平常に戻ったという。
参道の御假殿は、昭和48年(1973年)、山頂に神殿を新築した際、江戸時代後期の文化5年(1808年)の旧神殿を移したもの。
例祭は5月11日。境内社として、拝殿の左右に、御祭神の稲田姫命の両親である足名椎神・手名椎神を祀る。他に、松尾神社などがある。
当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。なお、式内社「理訓許段神社」の論社は他に、大船渡市赤崎の尾崎神社がある。
【ご利益】
開運招福、火防、夫婦和合、良縁、子宝
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