飛鳥末期の創祀、奈良・鎌倉期に社殿再建、大スギや夫婦大石
[住所]宮城県加美郡加美町麓山30
[電話]0229-67-6184

飯豊神社(いいとよじんじゃ)は、宮城県加美郡加美町麓山にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』陸奥国賀美郡にある「飯豊神社」に比定される式内社(小社)で、時に「賀美石神社」とされる場合もある。近代社格では郷社。

飛鳥時代、第42代文武天皇の大宝3年(703年)、巨勢麻呂が当国に下り、慶雲2年(705年)、保食神豊宇気比売命)を奉斎したことに始まるという。

第43代元明天皇の和銅2年(709年)3月、巨勢麻呂は陸奥鎮東将軍に任ぜられた。この際、神事が盛んに行われたという。

奈良時代、聖武天皇の天平9年(737年)、按察使兼鎮守府将軍として大野東人が、当郡から出羽国最上郡玉野に至る道路を開鑿。この際、初めて社殿が設けられたという。

社頭に長さ5尺、厚さ4尺という巨石があり、本社の奥院と伝えられる。また、右大弁巨勢麻呂を石神として鎮祭したともいう。

これにちなんで、当社は石神社とも呼ばれた。式内社「賀美石神社」とされる場合がある所以だろう。他の論社に、式内同名神社がある。

一方で、当社の奥宮は、色麻町小栗山山頂の船形神社であるとの指摘もある。

鎌倉時代、伏見天皇の正安22年(1300年)、小野田朝日館主で、従五位下の内海左京太夫長重が社殿を再建した。

明治5年(1872年)、郷社に列し、明治40年(1907年)、供進神社に指定され、明治42年(1909年)には鳴雷神社をはじめ八王子の諸神社を合併、奉斎した。

ただし、明治5年(1872年)4月に漆沢の山神社、小瀬の雷公天神社、神明社の三社を合祀、ともある。

現存する本殿の建築年代は不明だが、幣殿・拝殿は昭和46年(1971年)の再建。本殿は町の文化財に指定されている。

例祭は、春季大祭が4月12日、秋季大祭が9月12日。当社は主として五穀豊饒を祈るが、神饌には鳥類、卵は一切用いない慣しがある。

また、祈年祭が旧暦2月初午の日に行われる。2月の執行は珍しくないが、初午というのは、御祭神と併せ、稲荷らしい側面が垣間見える。

境内には、坂上田村麻呂が植えたとも、源頼朝が植えたともいわれている、周囲約6メートルのスギ(杉)の老木があり、御神木として祀られている。

また、安産の神として古くから知られている夫婦大石がある。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、安産
飯豊神社 宮城県加美郡加美町麓山
【関連記事】
宮城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮城県に鎮座している神社の一覧